数年続いた紛争が終わり学校再開へ~希望が戻ったイラク・ファルージャ
2017年12月27日 ファルージャ発
イラクのアンバール県ファルージャでは、日本政府の支援を受けて、ユニセフは数多くの学校を再建しています。現地の学校を訪問したユニセフ・イラク事務所の広報チーフによる報告です。
戦争の傷跡
ファルージャ市内の建物は、紛争によって損壊し、壁には銃弾によってできた穴が刻みこまれています。6カ月前、IS(イスラミックステート/「イスラム国」)からファルージャを奪還する戦闘のなかで、8万5,000人が、自宅などが爆撃されるなどして避難を余儀なくされました。それ以前にも、多くの人々がすでに街から離れていました。
現在は、子どもたちが瓦礫のなかを歩いて学校に通っています。戦闘によって、多くの家屋や校舎が損傷を受けました。迫撃砲による数回の攻撃を受けたある学校では、通路の床が粉々に砕けたチョークとガラスの破片で覆われていました。
しかしファルージャには人々が戻り始めています。小さな商店が再開し、セメントの塊が片付けられ、爆撃によってできた穴が塞がれ、学校には新しいチョークも届きました。
今も爆発音が鳴り響く
冬にも関わらず、教室には暖房もありません。訪問した学校では、子どもたちが帽子、手袋、上着を着用したまま、木製の椅子に座り、黒板に書かれた文字を見ながら授業を受けていました。
質素な再開ではありますが、子どもたちにとっては、何年もの間続いた紛争からようやく日常へと戻る一歩でもあります。そのうちの一人が、2015年8月に迫撃砲による攻撃で父親を亡くし、自身の片足も失ったハメッドくんです。美術の先生になることが願い、とハメッドくんが語ってくれた時、近くで爆発の音が鳴り響きました。今も、爆弾処理チームが、市内に残された爆弾を処理しているのです。
市内の5つの学校を訪問する間、爆弾処理による爆発音が4回鳴り響きました。この音は、子どもたちとその家族に避難を強いた紛争を、まさに思い出させるものでした。
しかし今、子どもたちはイラク全土やクルド地方などの避難していた場所からファルージャに戻ってきています。
子どもたちで溢れる教室
「友達の半数、近所の人々の半数が、戻って来ているよ」と、茶色の上着を着てフードをかぶったモハメッドくん(8歳)が言います。
訪問した教室は子どもたちで溢れていました。教科書はまだ到着しておらず、壁には何もありません。色鉛筆はなく、ノートもわずかしかありません。近隣に、40万米ドルの予算で別の学校が再建されているところでした。再開すれば、500人の子どもたちが再び学校に通えるようになります。
教師のサヘラ・アバスさんは、毎週、新たな家族がファルージャに到着している、と言います。サヘラさんは、ISによる占領が始まった2014年1月にファルージャから避難していましたが、1カ月前に戻ってきました。
「戻ってきた理由は、ここが私の学校で、これが私の仕事、そしてここが私の故郷だからです。戻ってきたかったのです」とサヘラさんは言います。「生徒たちは将来に対して不安を感じています。爆撃を怖がったり、戦いが再び起こるのではないか、再び避難しなくてはならないのではと、恐怖に怯えています」
学校では、子どもたちに休息を与えている、とサヘラさんは言います。「家族はほとんど何も所持していません。家屋はすべて損傷しており、電気も、水もありません」
「学校がなければ、将来への希望もない」
市内にある大規模な中学校の一つも、大型爆弾によって攻撃を受け、一部が破壊されました。幸運なことに、爆撃された当時、そこには誰もいませんでした。
今日、その中学校には制服を来た女の子がたくさんいます。そのうちの一人、ヌールさんは、ファルージャから家族とともに避難した後、2年の間に3つの都市を転々として、再び戻ってきました。
「教育課程を修了し、バグダッドで医者か歯科医になるのが夢です。学校が無ければ、将来への夢もありません」(ヌールさん)
(訳:日本ユニセフ協会)