第100回 東アジア・太平洋地域事務所 功刀(くぬぎ)純子 ~後編~
代表
米国の大学卒業後、日本の新聞社の英字新聞での勤務を経て、米国の大学院でジャーナリズムを専攻。JPO制度を通じて広報官としてベトナム国事務所に赴任して以来、30年以上にわたってUNICEF内のさまざまな役職を経験。これまでにミャンマーやパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、中東湾岸諸国の事務所代表を歴任し、東京事務所代表として日本と韓国のパートナーシップも主導。ニューヨーク本部の公的パートナーシップ局長を経て、2024年より現職(インタビュー時点)。
本記事は、UNICEF東京事務所の広報担当とインターンによる英語での対話形式のインタビューをもとに執筆しました。前編はこちら。
元々ジャーナリストとしてキャリアをスタートし、その後UNICEFに入職して支援の現場や管理職などを経験されましたが、ジャーナリズムや広報の経験はどのように活かされましたか?
大学卒業後、日本の英字新聞に勤務し、基本的な取材や編集業務から経験を積みました。様々なトピックについて調査を行うことや、インタビューをすることが大好きでした。どのような問いを立てて質問をすべきかを考える経験を通じて、コミュニケーションスキルの重要性を学びました。「物事はどのように機能しているのか?」「どのような力学が働いているのか?」「何か問題が起きている場合、その原因や背景は何か?」「解決策は何か?」――キャリアを通じてこうした問いに向き合いましたが、ジャーナリズムや広報の経験はその原点となっています。
また、UNICEFの広報官として、あらゆる部門と連携しながら、UNICEFの多様な支援分野について学ぶ機会を得られたことは、大変有意義な経験でした。外部に向けて発信するには、保健や子どもの保護、教育、気候変動対策など、UNICEFが取り組む様々な分野に対する基本的な情報を理解している必要があります。そうした知識を身につけられたことは、管理職になる上でも役立ちました。
さらに、広報官としての経験は、組織的な危機が起きないようにするリスク管理の面でも役立ちました。UNICEFの活動や評判に悪影響を与えないためには、事前にリスクを分析し軽減策を講じる「リスク管理」と、リスクに対する情報を発信し関係者に伝達する「リスクコミュニケーション」が非常に重要です。特に緊急時には、現場支援の業務に加えて、迅速かつ正確に現場の情報を伝える広報業務も優先されます。リスクコミュニケーションに対応した経験は、起こりうるリスクを適切に軽減・管理する方法を理解する上で活かされたと思います。
これまでのキャリアの中で、葛藤やジレンマ、困難な局面に直面した経験はありますか?それらをどのように乗り越えたのかも併せて教えてください。
最も困難だった経験の一つは、30年近く前に広報・アドボカシーの責任者としてバングラデシュで勤務していた際、UNICEFが支援する水供給事業で水質面の課題が明らかになった時のことです。UNICEFはバングラデシュ政府に対し、低コストの手動ポンプを製造するための技術提供や、安全な水を確保するために地下100メートル以上に達することもある井戸の掘削を全国規模で支援していました。この事業はバングラデシュで最も成功したUNICEFの事例の一つとして見なされていました。
そんな中、ヒマラヤ山脈から流れ込んだ水が蓄えられてできた地下水において、水質上の課題が明らかになりました。この状況を受け、地下水利用について国際的にも様々な議論が生じ、事業における課題への対応と同時に、適切な情報発信や広報が急務でした。子どもたちのために活動するUNICEFは、多くの人から肯定的に捉えられ、非常に高い評価を得ていますが、本件は組織としての対応力が問われる重要な局面でもありました。
課題が明らかになった直後から、迅速な対応が求められました。そこで水質検査を実施し、各井戸にマークを付けて、それぞれの井戸が使用可能かどうかを人々に知らせました。赤のマークは「飲用は不可だが、洗濯などの他の用途には使用可」、緑のマークは「飲用可」など、住民に分かりやすく伝えられるようにしました。また、マークの違いや安全な利用方法を住民に理解してもらうため、住民への情報提供や行動変容を促すコミュニケーションも実施されました。その後、安全な水の供給不足を補うため、さまざまな種類のろ過装置に加え、雨水貯留システムやより深い井戸も導入されました。この経験は、リスク管理やコミュニケーションの重要性を示す一例となり、適切な事業対応を促したと言えます。
広報の仕事は、適切な問いを投げかけ、機敏に行動し、柔軟な姿勢を保ち、さまざまな状況やリスクを理解しようと努め、情報を明確に伝える方法を学ぶことの重要性を教えてくれます。事業において何か決断や決定を下すためには、正確な情報、エビデンス、データが必要で、それはジャーナリズムの根本的な役割とも通ずる部分があります。
(インターン生)私は大学院を修了し、今UNICEF東京事務所でインターンをしています。もし高校や大学時代に戻れるとしたら、何をしますか?学生時代の過ごし方で、参考になることがあれば教えてください。
若いうちは、どの分野を専門にすべきか判断するのが難しいと思います。私も大学在学中は、興味の向くままに専攻を変えていました。いろいろなことに挑戦してみること、時間がかかっても、自分が本当に情熱を注げるものを見つけることが大切だと思います。自分が何にワクワクしたり、充実感を得たり、触発されたりするのかを意識して過ごしてみてください。キャリアを積んでより大きな責任を伴う立場になったとき、自分が信念を持って取り組み、情熱を注げることをやっていれば、最善を尽くして自分の可能性を最大限に発揮しようというモチベーションが自然と湧いてくるはずです。
今の時代、私たちは皆人工知能(AI)について学び、この新しい世界でどう働いていくのかを考える必要がありますが、人間の創造性や分析力、判断力の価値はさらに重要になってくると思います。例えば、社会で取り残されている人々や子どもたち、ジェンダーマイノリティ、女性、異なる背景や民族、宗教を持つ人々に対する差別もあります。こうした問題は非常に人間的なものであり、解決策もまた、人間的なものでなければならないと思います。他者とどのように協働するか、どうすればより寛容で包摂的になれるかを考え、そのメリットを認識することが欠かせません。子どもが病気や飢餓、紛争によって命を落とさない世界を実現するためには、誰もが果たすべき役割があります。必ずしもUNICEFで働く必要はなく、重要なのは、自分の情熱を見つけ、子どもたちやすべての人にとってより良い世界を作るために、自分がどのような役割を果たせるかを考えることだと思います。
そのためにも、若い皆さんには、海外で学び、生活し、異なる文化や価値観を体験することをお勧めします。国際的な経験は、様々な可能性や貴重な視点を得たり、世界と、その中で生きる自分自身に対する理解を深めてくれたりするきっかけになります。それと同じように、日本に留学や就労のために訪れる人々が増えることは、世界における日本の存在感と地位を高めることにつながると考えています。
私は長年、平和と国際協力の推進に対する日本の力強い取り組みに、深い感銘を受けてきました。政府開発援助(ODA)は、私が勤務したバングラデシュ、パレスチナ、ミャンマーなどの国々などで、経済や貿易関連の成長だけでなく、社会開発にも活用されてきました。現地の人々は日本を尊敬し、長年にわたる開発援助や国際協力に感謝しています。まさに「ソフトパワー」としての影響力と言えます。現在の厳しい財政状況や世界貿易の混乱がある中でも、日本がこうした国際協力を継続し、その重要性を重視する姿勢を持ち続け、その価値を見出すことを願っています。それと同様に、日本の若い世代が世界で活躍する機会を得ることもとても重要だと思います。
最後に、管理職、特に女性リーダーとしてキャリアを築く上で心がけたことや、次世代へのメッセージがあればお願いします。
私が30年以上前にUNICEFで勤務を始めた当時、依然として男性優位の風土が色濃く残っていました。UNICEF初の女性事務局長であるキャロル・ベラミーが就任したのは1995年のことでした。彼女は女性の権利を強く擁護する人物であり、男性優位の文化を変える上で大きな変化をもたらしました。私がまだ比較的若い37歳の時に、オマーンの事務所代表を務める機会を得られたのは、そうした流れがあったからだと思います。UNICEFがジェンダー平等を推進する組織であることは、私にとっても幸運でした。私がUNICEFに入って以来6人の事務局長を見てきましたが、そのうち4人は女性であり、組織内には多くの女性のロールモデルがいました。
管理職をやってきて思うのは、勉強して新しいスキルや知識を習得することはできても、自分の根本的なあり方を変えることはなかなかできないということです。だからこそ、自分を変えるのではなく、自分の強みを活かして、改善の余地がある点は謙虚に取り組むようにしてきました。これは誰にでもできることだと思います。例えば私は、周囲を強く率いていくというよりは協議を重んじるタイプなので、頻繁にチームメンバーと相談し、共に解決策を見出しています。特に各国事務所では、現地職員こそが自国を最もよく知っており、独自のネットワークを持っているため、彼らの声を聞くことはとりわけ大事になってきます。
このアプローチによって、現地職員の行動や考え方の変化につながったことは、興味深かったです。例えばオマーンでは、私が着任した当初、職員は私に質問をしに来たり、問題解決を頼んできたりしていました。しかし、私が彼らを問題解決に巻き込み、何ができるかについて彼らのアイデアを尋ねるアプローチを続けた結果、3年後にその職を離れる頃には、彼らは問題を上層部に委ねるのではなく自らアイデアを出し合い、チーム全体で解決策を導き出す議論を行うようになっていました。その変化を目の当たりにして、私は本当に嬉しく思いました。集団の知恵は個人の知恵よりもはるかに優れていると信じているからです。特に、年齢や背景が異なる多様なメンバーがチームにいる場合、より多くの選択肢や洞察、理解をもたらしてくれます。
UNICEFは歴史的に、北米や西欧文化を持つ人が多く、リーダーシップとは進む方向性をはっきり示すこと、そして毅然とした態度をとることを意味する雰囲気がありました。しかし、私がキャリアの大部分を過ごしたアジアや中東地域など、他の多くの文化圏では、より協議を重んじ、比較的柔軟な姿勢をとる方が効果的であることを学びました。本部で一緒に働いていた同僚が、「優しさは弱さではないということをあなたから学んだ。必要な時には断固とした態度を取れる一方で、優しさも同時に持ち合わせることができるのだと教えてくれた」と言ってくれたのを覚えています。
管理職になりたての頃と比べて、私自身は今も大きく変わっていないと思います。重要なのは、自分らしくあること、自分自身に誠実であり続けることではないでしょうか。自分の根本の部分を変えることは難しいからこそ、状況に応じて柔軟に適応したり、他者との関わりをより円滑にしたりするために、行動を部分的に変えていくことはできます。そうすることで、自分らしさを失わず、チームとしても良い影響を与えあう環境をつくっていけると思います。
インタビュー後記(インターン 大坪波留)
今回、UNICEFで30年以上にわたりご活躍されてきた功刀純子さんにインタビューをさせていただけたことは、私にとってかけがえのない経験となりました。お話の中で特に心に残っているのは、「優しさは弱さではない」という言葉です。これから社会に出る私にとって、この言葉は強く胸に響きました。功刀さんは、紛争下のパレスチナや、バングラデシュでの水供給事業における危機対応など、数多くの困難な現場を経験されてきました。それにもかかわらず、インタビュー中の佇まいはとても穏やかで、言葉の一つひとつに温かさがありました。
さらに、若い世代に向けて語ってくださった「自分自身の情熱を見つけること」「自分らしさを失わずに、状況に応じて柔軟に適応していくこと」「若いうちに海外で生活し、多様な文化や価値観に触れること」というメッセージも、強く心に残っています。国際協力の道に限らず、自分がどのような形で社会に貢献できるのかを考え続けることの大切さを、功刀さんのお話から学びました。