第99回 東アジア・太平洋地域事務所 功刀(くぬぎ)純子 ~前編~

代表

米国の大学卒業後、日本の新聞社の英字新聞での勤務を経て、米国の大学院でジャーナリズムを専攻。JPO制度を通じて広報官としてベトナム国事務所に赴任して以来、30年以上にわたってUNICEF内のさまざまな役職を経験。これまでにミャンマーやパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、中東湾岸諸国の事務所代表を歴任し、東京事務所代表として日本と韓国のパートナーシップも主導。ニューヨーク本部の公的パートナーシップ局長を経て、2024年より現職。

June Kunugi
UNICEF/UN0465879/McIlwaine

本記事は、UNICEF東京事務所の広報担当とインターンによる英語での対話形式のインタビューをもとに執筆しました。キャリアの構築だけでなく、長きにわたるUNICEFでの経験を元に、世界情勢の変遷やリーダーシップについての考え方など、示唆に富むインタビュー内容を前編と後編に分けてお届けします。ぜひご覧ください。


これまでUNICEFの本部、地域事務所、国事務所での勤務を経験されましたが、それぞれの役職における醍醐味や、興味深かった点、また困難に感じた点について教えてください。

私はこれまでUNICEFで30年以上活動してきましたが、国事務所、地域事務所、そして本部で働く機会を得られたことを、大変光栄に思っています。そのうち20年は、より現場に近い国事務所と地域事務所での勤務でした。UNICEFは現場重視の組織であり、スタッフの約80パーセントが現場で活動しています。私にとっての初めての現場経験は、日本政府が支援するジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)に応募したことがきっかけでした。幸運にも採用され、元々興味を持っていたベトナムへ赴任することができました。

私は現地に身を置き、実施パートナーや子どもたちと直接関ることのできる仕事に、とてもやりがいを感じます。自分の仕事やアドボカシーなどのさまざまな努力の成果を、より直接的かつより早く実感できるからです。現地の状況や事情を熟知した現地職員が大半を占めるチームで働くことも、非常に充実した経験でした。私は他の文化や国について学ぶことに興味があるので、異国の地で生活したり働いたりできるという意味でも、国際機関でのキャリアは非常に充実感があります。それと同時に、各国において極めて深刻な状況に置かれた子どもたちを目の当たりにしてきました。例えば、紛争の影響を受けた国などで活動した際は、世界中の多くの子どもたちにとって、幼少期がいかに困難なものであるかを実感しました。そうした経験を通じて、自分の人生に目的を見出し、できる限りのことを成し遂げようという決意がさらに高まりました。子どもたちのために、そして子どもたちと共に働くことは、人生において最も意義深いことの一つだと思います。

一方、ニューヨーク本部では4回勤務しましたが、政策や戦略計画が策定されるグローバルレベルでの業務の進め方や、組織内の様々な部署とどのように連携するかを学べたことは非常に有益でした。パートナーシップや資金調達を担当する部門にも2度配属されました。事務局長室での勤務では、意思決定プロセスを実際に目にすることができ、またそのプロセスに自ら参加することも多く、非常に興味深い経験でした。国連の活動が時代とともにどのように進化しているか、組織がどのようにして新たな状況や環境に適応し、その存在意義を維持し続けているかについても理解を深めることができました。本部では、各国の国連政府代表部を含め、加盟国との連携を行っています。世界各国の政府や他の国連機関、そしてドナー国との関係について理解を深めることができ、非常に重要かつ意義のある経験でした。

本部の公的パートナーシップ局長として会議に出席した際の様子(2023年)。
UNICEF/UNI440169/Tadej Znidarcic 本部の公的パートナーシップ局長として会議に出席した際の様子(2023年)。

私は現在、東アジア・太平洋地域事務所の代表を務めていますが、この地域で働けることをとても嬉しく思っています。この地域事務所では14の国事務所への支援と調整を通じて、同地域の28カ国に支援を提供しています。またこの地域には、UNICEF東京事務所のような本部に紐づく事務所のほか、日本、韓国、香港、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国にUNICEF国内委員会もあります。また、ASEAN(東南アジア諸国連合)や国際金融機関、アジア開発銀行などの地域開発銀行などとも連携しています。複数の国が関わる地域レベルの取り組みに加えて、UNICEFの国事務所が子どもたちのために活動を強化・遂行するために必要な専門知識を提供し、支援しています。

国事務所、地域事務所、本部など、さまざまな役割の業務を経験することは非常に有意義だと思いますので、可能であれば、そうした機会を積極的に探してみることを強くお勧めします。

国事務所、地域事務所、本部の中で最も有意義であると感じたのはどの仕事でしたか?

人によって異なると思うので、あくまで個人的な感想ですが、私にとっては国事務所での経験でした。UNICEFは開発や人道支援、そして子どもの権利に関する規範的な活動に取り組んでいまが、現場を重視する組織です。現地の実情を理解していなければ、地域事務所や本部での業務は時に困難を伴います。そういう意味でも、現場での経験は非常に重要だと考えています。

地域事務所代表としてミャンマー・ヤンゴンのUNICEF支援プロジェクトを訪問(2024年)。
UNICEF/UNI684533/Khine Zar Mon 地域事務所代表としてミャンマー・ヤンゴンのUNICEF支援プロジェクトを訪問(2024年)。

これまでのキャリアで印象に残っている出来事があれば、ぜひお聞かせください。キャリアや人生全般に影響を与えたターニングポイントはありましたか?

最初の転機は、1990年9月30日にUNICEFが主催した「子どものための世界サミット」を取材した時でした。これは、当時のUNICEF事務局長、ジェームズ・グラントの発案によるものでした。90年代における最初の大規模な世界会議の一つで、子どもに特化した会議でした。当時、私はニューヨークの大学院でジャーナリズムを専攻していて、父が国連で働いていたこともあって、国連には以前から興味を持っており、国連の報道に関する授業を受講していました。その授業の一環として、朝日新聞社が発行する英字週刊誌『Asahi Weekly』に、このサミットに関する記事を執筆しました。大学卒業後に、日本で数年間『Asahi Evening News』や『Asahi Weekly』で働いた経験があったからです。

「子どものための世界サミット」が開催された当時、世界中で毎日約5万人の子どもが命を落としていました。その多くは、予防接種や、母乳育児を含む適切な栄養、安全な水と衛生によって防ぐことのできる原因によるものでした。

そのサミットには、当時の日本の海部俊樹首相や、米国のジョージ・H・W・ブッシュ大統領、英国のマーガレット・サッチャー首相、カナダのブライアン・マルルーニー首相を含む72人の国家元首や首脳が参加しました。彼らは「子どものための世界サミット」の世界宣言および行動計画に合意し、実際に子どもたちが国連の6つの公用語で宣言を読み上げました。この宣言と行動計画において、UNICEFは1990年からの10年間における子どもたちのための目標を策定し、その多くはミレニアム開発目標(MDGs)や持続可能な開発目標(SDGs)といった他の国連目標の基礎となりました。これらの目標には、プライマリ・ヘルスケア、予防接種、栄養改善などを通じた、子どもの罹患率と死亡率の削減が含まれていました。

サミットの中で特に印象に残ったのは、「341」という題名の動画の上映でした。動画では、毎日5万人の子どもが命を落とす状況は本来防ぐことができ、その手段、資源、知識、そして技術は既に備わっていることが示されていました。動画の最後は、子どもたちの写真が72人の首脳全員と国連事務総長の写真へと次々に切り替わり、「あなたたちは自国の指導者として変化をもたらすことができ、子どもたちの命を守ることができる」というメッセージを効果的に訴えかけていました。

当時、私はジャーナリズムを学ぶ学生でしたが、そのイベントから大きな刺激を受けました。それを機に、ジャーナリズムや広報のスキルを意義ある活動に活かすためにUNICEFで働きたいと思うようになりました。そして幸運なことに、サミットを通じて広報局の職員と知り合う機会があり、大学院卒業後、ちょうど広報の臨時職員を募集していたことから、UNICEFでのキャリアをスタートさせました。

地域事務所代表として、国連本部で開催されたUNICEFの総会に出席(2026年)。
UNICEF/UNI943082/Tadej Znidarcic 地域事務所代表として、国連本部で開催されたUNICEFの総会に出席(2026年)。

二つ目の転機は、UNICEFパレスチナ事務所での経験です。2014年に発生した紛争の勃発も目の当たりにしました。現在のガザの状況は極めて厳しいものとなっていますが、それ以前にも、暴力の連鎖や紛争が繰り返されていました。そうした状況に衝撃を受けたと同時に、一緒に働いていたUNICEFの職員には本当に感銘を受けました。状況が悪化した際、現地職員は、通常の業務から一夜にして人道支援体制へと切り替え、驚くほどのレジリエンス(回復力)と機敏さを示してくれました。当時、ガザ地区は爆撃を受けており、毎日ミサイルが飛来していました。現地職員自身も影響を受け、家や家族、友人を失っていました。それでも彼らは、子どもたちやぜい弱な立場にある人々を助けようと尽力し続けました。

緊急支援は、通常の開発プログラムとは大きく異なります。安全な水と衛生、保健、栄養に関する命を守るための物資を直ちに提供する必要があります。また、子どもの保護や教育も命を守ることにつながります。パレスチナでの経験を通じて、紛争という緊急事態においてUNICEFが行う活動に加え、現地職員の能力の高さと献身的な姿勢を知ることができたと言えます。彼らは、自分たちの命が危険にさらされている状況であっても、子どもたちが必要な支援やサービスを受け、保護されるよう尽力し、まさに英雄でした。この経験を通じて本当に大きな感銘を受けました。

もう一つの転機は、オマーンで初めて国事務所の代表を務めた時です。代表の責任は重大で、支援プログラムの運営、対外的な代表活動、アドボカシー(政策提言)、業務運営、職員の安全確保など、あらゆることを統括しなければいけません。当時は10~12人ほどの小規模な事務所で、保健省や社会開発省、教育省、経済省といった政府の各省庁から出向してきた現地職員も在籍していました。

オマーンは石油資源に恵まれた国であり、1970年代以降、急速な発展を遂げました。元首である国王は、国民のための施策や公平性の向上に注力していましたが、すべての人がその恩恵を受けているわけではない状況がありました。例えば、遠隔地に住む一部の人々は、依然として医療サービスに容易にアクセスできませんでした。私の着任以前から、UNICEFは政府によるコミュニティ支援グループのボランティア制度の確立を支援していました。これは、地域コミュニティで多くの人々(主に女性)を訓練し、基本的な保健ケアを提供できるようにする取り組みです。ほぼ毎月、地区保健センターの医療スタッフと共にコミュニティを訪問し、重症例の患者がいた場合は、必要な治療を受けるために診療所や病院へ紹介しました。この制度により、保健サービスを受けられる人を増やすことができました。

また、UNICEFの専門分野でもある、子どもの保護や子どもの権利に関する課題もありました。政府は、UNICEFの役割とパートナーシップを評価し、アドバイスを求めていました。この経験から、高中所得国や高所得国においても変化をもたらすことができること、そして、各国政府からの資金提供を受けつつも、独立性を保ち、規範的な役割を果たすことができることを学びました。

地域事務所代表として、タイ・バンコクの小学校にてUNICEF支援プロジェクトを視察(2025 年)。
UNICEF/UNI891620/Arun Roisri 地域事務所代表として、タイ・バンコクの小学校にてUNICEF支援プロジェクトを視察(2025 年)。

仕事をする中で最も困難に感じた出来事や、若い世代へのメッセージは後編へ。