第45回 バングラデシュ事務所 穂積 智夫
代表
日本と英国の大学院で修士号取得後、ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)として、1990年からUNICEFブータン事務所に勤務。インド事務所勤務を経て、国際NGOで2年間勤務。その後、UNICEF東京事務所とカンボジア事務所での勤務を経て、タイ事務所、フィリピン事務所、ネパール事務所、バングラデシュ事務所で代表を歴任。
世界中の子どもたちが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響を受けていますが、バングラデシュ事務所の代表として、どのような仕事をしていますか?
COVID-19は、健康面だけではなく、私たちの生活すべてに影響を与えました。その中でも一番深刻な影響を受けたのが、子どもたちです。COVID-19で子どもやぜい弱な人々に対する保健、教育などの基礎サービスが阻害され、家庭内暴力が増加しました。そうした基礎サービスをいかに回復、継続していくか、子どもをいかに保護していくかが、過去2年近くのUNICEFの仕事の中心となっています。ベースとなる保健分野では、まずマスクの使用や咳エチケット、ソーシャルディスタンシング等の感染予防方法を広めるための啓発活動、個人用防護具や酸素濃縮器、人工呼吸器などの供給とその正しい使用の普及などに重点を置きました。そしてワクチンが開発されてからは、コペンハーゲンの物資供給センターが中心となって、COVAXファシリティと呼ばれるワクチン生産供給のための国際的な枠組みの下、UNICEFがワクチン供給を引き受けました。
医療体制の強化にも取り組んでいます。COVID-19は保健医療体制全体への負荷が非常に大きいですが、そうした状況に対して効果的に対処するため、国レベルでの保健管理情報システムの構築にも取り組みました。感染者数や死亡者数、PCR検査数、陽性率、基幹病院の病床数、病床利用率、医師・看護婦の配置状況、酸素やその他の重要な備品の供給・使用数量をリアルタイムでモニタリングできるシステムを構築するため、技術・人員・資金面で政府の手助けをしました。それから必須医療品、個人用防護具、検査キットや試薬の供給、そしてこれは今までのUNICEFの活動では見られなかったことですが、患者が重症化した際の生死を分ける酸素吸入関係の医療機器の供給、国全体としての酸素供給プランの策定・実施にも深く関わっています。
もう一つ重要なことは、貧しい人やロヒンギャ難民といった、ぜい弱な層への支援です。バングラデシュのコックスバザールにある難民キャンプには、ミャンマーを追われた90万人以上のロヒンギャ難民が生活しており、キャンプ内はニューヨーク市の4倍の人口密度があります。そのため、パンデミックが始まった当時は、キャンプ内で感染が拡大する恐れがありました。幸い適切な予防措置のおかげもあり、感染の規模は当初の予想よりもずっと小さく収まりましたが、難民向けの基礎サービスの継続に関しては、かなりの制限がありました。感染のリスクを下げるために、日々実際にキャンプに入ることができるエイド・ワーカーの数も大きく制限される中で、どのように保健、栄養、水と衛生、教育、女性と子どもの保護などの重要なサービスを続けていくかということに頭を悩ませました。また、難民キャンプのあるコックスバザールはバングラディシュの中でも貧しい県で、以前から基幹病院のキャパシティには限界があったため、COVID-19に対応する医療施設をゼロから立ち上げなければなりませんでした。具体的には、キャンプで暮らす人々のための医療施設と人道支援スタッフや関係者のための医療施設の両方を、複数の国連機関と共同で立ち上げました。
また、誰もが影響を受けるコロナ禍の中で仕事を続けていくためには、スタッフ、そしてその家族を支えていくことも不可欠です。これまで自分が関わった緊急事態の多くでは、我々スタッフが被災者や受益者と寄り添ってはいても、やはり置かれた立場や直面する状況の違いがありました。しかし今回は、その違いがより小さくなり、UNICEFスタッフ自身の保護に関して、感染予防のための情報共有や、感染した場合の医療体制の拡充、その他のケアというようなことをより身近に考えなければいけませんでした。そうした点は、私が今まで関わってきた緊急支援と違っていると思います。
保健以外の分野では、栄養、水と衛生、教育、子どもの保護、社会保障といったUNICEFの主要プログラムにおいて、どのように基礎サービスを継続させていくかが非常に重要な課題となりました。形を変えてでも、そうしたサービスをどうにかして続けていくことを目指し、例えば、なくなった対面授業を補うための遠隔教育のインフラ整備、家庭レベルで親やその他の身近な人々を通しての教育活動への支援などを行いました。
日本政府には、バングラデシュを含む UNICEF 南アジア地域事務所の管轄する国々に、多くの支援を頂きました。バングラデシュには、2020年、パンデミックの早い段階で約200万米ドルのご支援を頂き、これまで申し上げたような活動のスタートアップ資金に充てることができました。
これまでのキャリアについて教えて下さい。
UNICEFには、1990年にJPOとして入り、ブータン事務所で2年間、女性と開発担当官として働きました。その後インドに移り、グジャート州事務所の所長を務めました。そうして計7年勤めた後、家庭の事情で一旦 UNICEF を退職し、日本に帰り、国際NGOで2年間働きました。その後、1999年に縁あって UNICEF に復帰し、東京事務所で2年程勤務しました。東京での仕事は、子どもに関係する日本政府の二国間援助とUNICEFの多国間援助を組み合わせることにより、双方の効果をより一層上げるマルチ・バイ協力の推進というもので、非常に面白かったのですが、やはり「現場」に戻りたいという気持ちが強く、2002年からUNICEFカンボジア事務所で上級調整官(副代表)として働きました。そして2006年から2012年までタイ事務所、2012年から2014年までフィリピン事務所、2014年から2019年までネパール事務所、2019年からバングラデシュ事務所で代表を務めました。
これまで取り組んできた課題は、国によって異なります。ブータンやカンボジアなどでは、子どもへの基本的なサービスの構築に関する活動に力を入れていました。一方、タイに赴任した時は、同国が中所得国になってからかなりの年月が過ぎていましたので、国内での格差是正や、周辺国からの移民、難民、人身売買の被害者への支援など、それまでとは違う仕事を経験しました。「中所得国」というネーミングから、そうした国々では開発に関する問題は既に解決しているのではないか、という印象があるかもしれませんが、そんなことはありません。もともと世界銀行の開発借款・支援基準として使われ始めた中所得国というのは非常に大きなカテゴリーで、2021年現在、国民総所得にして年一人当たり1,036ドルから12,535ドルの間に位置する全ての国々が含まれます。そして現在109カ国あるそれらの国々には、世界の人口の75%、貧困人口の65%に当たる人々が暮らしています。一人当たりの所得水準が一定の基準を越えれば、魔法のようにすべての問題がなくなるわけではないということ、そしていわゆる一般的な開発の問題以外にも、子どもの貧困や差別、不平等、搾取、虐待、暴力、ネグレクトなどの問題が中所得国においても多々あることを、タイやフィリピンで仕事をする中で実感しました。
ロヒンギャ難民への支援や新型コロナウィルス対策など、非常に困難な環境下でリーダーシップを執ってこられたと思います。緊急支援下でリーダーにとって大切なことは何ですか?
基本的に必要とされる能力は、平時と変わらないと考えています。ただし、対応におけるスピードの必要性が増すことと、状況の不確実性が高まるという点では異なります。特に重要なコンピテンシーとしては、3つあると考えています。1つ目は、全体を俯瞰してプライオリティを明確に設定すること。言ってみれば情報処理能力や理解力です。言うは易く行うは難しで、状況の不確実性が増すということは情報を得ることも難しくなるということですので、その場その場で信頼できる情報をできる限り集め、それを基に判断・対応する必要が出てきます。まずは個人レベルで課題の優先順位をつけていくのですが、もちろん一人で物事を動かすことはできません。そこで、2つ目のコンピテンシーとして、チームや関係者とプライオリティを話し合い、決定し、それぞれの責任分担を明確にしていく力が求められます。広義の意味でのコミュニケーション・スキルということになるかと思います。そして3つ目は、やり抜く力、根気強さや粘り強さというものになるかと思います。自分が英語の言葉で好きなものの中に、tenacity(粘り強さ)という単語、フレーズですとdogged persistence(不屈の粘り強さ)という言葉があります。最近では grit (やり抜く力)という言葉も使われていますが、一度一つのことを始めたら、それが何らかの結論に達するまで、根気強く、粘り強く、モニタリングしながら続けるということです。
これらは平時でも求められることだと思いますが、緊急時にはより速いスピードで行わなければなりません。そのためには、場数を踏むということも大切ですが、事前に意識的に準備をすること、例えば、通常の開発支援の中に防災及び災害への備えの要素を意識的に取り入れる、また、明日大災害などの緊急事態が起こったら自分は代表として何をするべきかを予めリスト化しておく、といったことも大切になります。私自身もそうしたメンタルトレーニングを時々行い、反芻して、それが実際にできるかということを考えていました。
これまでのUNICEFでの経験の中で、特に大変だったり、印象に残っている仕事は何ですか?
やはり一番印象に残っているのは緊急事態における経験です。いつの頃からか、UNICEFの同僚たちから、「智夫は『動く震源地』だ」と冗談混じりに言われるようになりました。通常、緊急支援に携わりたいという人は自分から緊急支援が必要な任地に赴くのですが、私の場合、行った先がたまたま緊急支援の必要な地域になってしまうという状況が多々ありました。タイで働いていた2010年には、同国の観測史上最大の洪水が起こり、バンコクが水浸しの状態が3カ月程続きました。また、バンコクで政治的な理由による対立から街の中心部で市街戦が起こり、スタッフを緊急避難させなくてはいけないこともありました。
緊急事態の経験は、フィリピンにいたときがピークで、2012年と2013年の2年間に、国際的な支援要請を出す必要のある緊急事態が4件ありました。2013年の第4四半期が一番大変で、3件の大規模な緊急事態に同時に対応することになりました。まず、9月9日に南部のミンダナオ島のサンボアンガ市でモロ民族解放戦線による沿岸部武装占拠事件が始まり、最終的にフィリピン国軍との戦闘状態となりました。1万人以上の人々が郊外に避難しなくてはならなくなり、それらの人たちへの基礎サービスの提供を支援しました。その余波も収まらぬ10月15日、今度は中部ボホール島でマグニチュード7.2の地震があり、多くの建物が倒壊し、かなりの数の死者が出たため、そこでも緊急支援を始めました。そして11月8日には、瞬間最大風速毎秒90メートル以上、世界の観測史上でも最大級の台風ハイエンがフィリピン中部を直撃し、死者・行方不明者が8,000人を超える事態となりました。この間は毎月のように国際緊急支援要請を作って出し、加えてマニラにある事務所だけでは迅速に対応できないということで、被災地に現場事務所を計5カ所作ることになり、そのための計画策定、資金確保や人材確保にも奔走しました。心身ともに大変な時期でした。
その後の勤務地を選ぶ際、もう一度基礎的な開発の仕事に戻りたいと思いネパールを選んだのですが、赴任後1年足らずの2015年4月に、同国の過去80年間で最大というマグニチュード7. 8の大震災が起きました。地震発生時は、たまたまトレッキングをしていて、同僚と一緒にカトマンズ盆地が一望できる山の上を歩いていたのですが、突然立っているのが難しいくらいの強い揺れを感じ、座り込んでしまいました。揺れが収まった後に再び立ち上がると、市内のあちこちから土煙が柱のように上がっていたのを非常に印象深く覚えています。その後、再び忙しい緊急対応の日々が続くことになりました。
UNICEFで働く原動力は何ですか?
自分にとっては、2つあります。1つ目は、ミッション、何をやるべきかが明確であるということです。これは組織として強みだと思いますし、個人的なやりがいにも繋がります。ある社会において子どもがいかに育てられるかということは、その社会のすべての物事の根幹だと考えています。そうした重要な問題に関われることは、人間として、そしてプロフェッショナルとしての喜びであり、働く原動力の一つであると思います。それから2つ目は、組織としての UNICEF は分権化がかなり進んでいて、かなりのことが国レベルで決定できるということです。これは代表に限った話ではなく、すべてのレベルの職員が持つ裁量が、比較的大きいのではと思います。そしてそれは、それぞれの国や地域の実情にあった柔軟な支援ができるという意味で、非常に重要なことだと思います。
様々な開発途上国で勤務をされていらっしゃいますが、ワークライフバランスをどのように保っていますか?
あまり上手ではないですね。基本的には2010年から2021年まで10年間以上単身赴任をやっていましたので、家族に会えるのが年に2度くらいしかないという状況が続いていました。私も私の妻もそれぞれやりたい仕事があり、そのためにやむなくそうした決断をしましたが、後悔はありません。2人とも子どもの権利の推進に携わっていますが、妻はそれを日本の大学で教え、また関係のNGOで活動しています。それでも、家族と別々に住むようになったのは2人の娘が18歳になって以降の話ですので、典型的に家族が家族としてひとつ屋根の下に住む期間は最大化できたかなと思います。
また、ワークライフバランスと言えるかわかりませんが、写真が趣味なので、ほとんどの勤務地で、週末は自転車や徒歩で街に出て、スナップを撮ることが息抜きになっています。
将来国際社会で活躍できる人材になるために、若いうちに身に付けるべき大切なことは何ですか?
自分の経験を振り返ってみると、やはりコミュニケーション・スキルですね。会話などに関してはもちろんそうですが、書くということも仕事の中でかなりの部分を占めると思うので、ライティング・スキルも非常に重要になります。仕事で重要なコミュニケーション・スキルというのは、一般的な日常会話とはまた違う部分もあると思うのですが、そうした会話のスキルと比べても、ライティング・スキルは軽視されているという印象があります。ある事柄をクリアに、分析的かつできる限り簡潔に書くプロフェッショナル・ライティングの能力が重要ではないかと考えています。自分としてもそれを意識してやってきましたし、それが役に立ったと思います。
また、先程お話したように、全体を俯瞰してプライオリティを明確に考えること、それをチームや関係者と話し合い、決定し、責任分担を明確にすること、そして一度始めたら、結果がどうであれ、合理的な帰結に至るまで根気強く、粘り強く、モニタリングしながら続けることが大切です。この3つの能力をいかにして身に付けていくかということですね。それは UNICEFだけでなく、どの職業でも共通して必要な能力だと思いますが。
UNICEFで働きたいと考えている、日本の若者に向けたメッセージをお願いします。
UNICEFに勤めて30年になります。家庭の事情で一度は UNICEF を辞めましたが、再び戻ってきて思うことは、本当にやりがいのある組織だということです。それは、これまでも申し上げましたが、ミッションが明確であること、社会の根幹となる子どもたちの将来に関わる仕事であること、そして決定ができる裁量権の大きさ、という点から来るものだと思います。もし生まれ変わって仕事を選ぶことになれば、また UNICEFという組織を選ぶと思います。
それから、30年勤めて感じているのは、邦人職員が増えてきているということです。女性の職員が大幅に増えてきたというのは、本当にいいことです。同時に、ジェンダーの問題はバランスの問題でもあります。その点、最近は男性のUNICEF 邦人職員の方にお会いすることが少ないので、もう少し男性にも入ってほしいなと思います。
※肩書はインタビュー当時のものです。
インタビュー後記(インターン 安達正之介)
30年にわたって様々な国でキャリアを築かれた穂積さんのお話からは、社会の根幹に関わる子どもというミッションへの強い思いを感じました。また、国際社会で活躍するために必要なスキルについて、ご自身のリーダーとしての経験に裏付けられた、具体的で参考になるお話を聞くことができました。穂積さんの仕事への向き合い方から感じられるプロフェッショナルとしての姿勢を、私自身も身に付けることができるよう精進していきたいと思いました。