第50回 ニューヨーク本部 水野谷 優

統計・モニタリング シニアアドバイザー

青年海外協力隊、米国の大学院を経て、JPO制度を通じて国際労働機関(ILO)バンコク事務所で勤務。その後、米国大学院で博士号を取得(教育経済学)。UNICEF東アジア・太平洋地域事務所コンサルタント、ケニア事務所で教育チーフを歴任した後、香港中文大学で教鞭をとる傍ら、UNICEFシリア事務所とイラク事務所でコンサルタント。2017年ニューヨーク本部。教育データユニットチーフ・シニア統計・モニタリングアドバイザー。2021年より現職。

アルメニアで行われた会議に参加した際の様子。(右:水野谷さん)
UNICEF アルメニアで行われた会議に参加した際の様子。(右:水野谷さん)

現在、どのような仕事をしていますか。 

一つ目は、持続可能な開発目標(SDGs)やUNICEFの活動の柱となる「UNICEF戦略計画」などに関連する教育関係の指標のモニタリングです。世界各国のデータを用いて、UNICEFが定めた目標に向かっているか、どういったところが達成しづらいかなどを分析しています。また、複数指数クラスター調査(MICS)や人口保健調査(DHS)といった家計調査のマイクロデータを分析し、UNICEFの基幹報告書である「世界子供白書」や、UNICEF執行理事会の会議や年次報告書等で発表しています。

二つ目は、今までにない新しいデータを算出し、分析し、報告する仕事です。たとえば新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行する中、子どもたちの生活にさまざまな影響が出て、子どもたちの置かれている状況を把握するために新しいデータが必要になりました。その一つが、世界中で学校が閉鎖され遠隔授業に移行した際に、どれくらいの子どもが遠隔授業を受けたのか、というデータです。この場合、遠隔授業を提供する教育省などの政府側のデータと、家庭で授業を受ける子どもたち側のデータを組み合わせる必要があります。まず各国政府の提供している情報から、小・中・高校でそれぞれ遠隔授業を実施状況を把握します。そして、遠隔教育の受け手側の子ども側の状況を、家計調査等を使って分析します。たとえば、政府がラジオを使って遠隔授業をしている場合、何割の子どもがラジオを持っているのかを調べます。このように、授業を提供する側のデータと受ける側のデータを組み合わせた結果、少なくとも4億6,300万人の子どもが授業を受けることができなかったことがわかりました。コロナ禍のこの2年間は、このような新しい推計をする仕事をよくやっています。

このようなデータは、世界的なアドボカシーに頻繁に使用されます。COVID-19の流行で、1億6,800万人の子どもたちが、ほぼ一年間学校へ行くことができませんでした。ただ、数字だけを見ていてもなかなか実感が湧かないので、アドボカシー担当と連携し、国連本部前に168個のイスと机、通学カバンを置き、学校の再開を世界各国へ向けて訴えました

また、他の国際機関と連携してデータを算出することもあります。たとえば、国際電気通信連合(ITU)という国連機関があります。彼らは中進国や高所得国のインターネット普及率に関するデータは持っているのですが、低所得国のデータは持っていません。一方で、私たちは、低所得国の家計データを日頃から分析していますので、低所得国でどれだけの子どもがインターネットにアクセスできるのかについて、ITUと共同でレポートを出版しました。

三つ目の仕事は、子どもたちの状況を数値化する方法を決める仕事です(データ収集の方法論的研究)。たとえば、「子どもの基礎学力がある」とはどのような状態でしょうか。また、どのように数値化すべきでしょうか。世界中に様々な学力診断ツールがあるのですが、低所得国の子どもたちの状況は良くわかっていませんでした。そこで、小学2年生の学習内容を習得しているかを判断するツールを作って、32カ国のデータを収集・分析したところ、小学2年生の学力が身についている3年生の割合は、10人中3人であることがわかりました。つまり、小学2年生の学力が身についていない残りの7割の子どもは、まだ基礎学力がないということを数値化できました。このように、子どもたちがどのくらい学習ができていないのか、などの彼らの現状を具体的に数字にすると、国々の間で比較できるようになります。

最後に、リサーチ業務も重要です。今年は、子どもが初めて学校へ行ってから、将来の職業を考え始め、労働市場に出ていくときに、ジェンダーがどのように影響を与えるか、というテーマでレポートを書きたいと思っています。統計によると、学校に通い始める頃は女の子より男の子の方がわずかに就学率が高いのですが、中等教育では逆転し、女の子の就学率が上回ります。識字率や学力も、女の子の方が総じて高くなっています。しかし、中等教育まで男女で同じ授業を受けても、親や子ども自身、また周囲の人々のジェンダーにおける固定観念で、女の子は大学に進学しなかったり、理系の学部を選択しなかったりと、選択肢を狭めてしまうことがあります。職業選択においても、たとえば医者は男性がなるもので、看護師は女性がなるもの、という先入観に基づいて仕事を決めることは珍しくありません。そして、労働市場も、女性に不利な構造があります。ジェンダーと教育は大変複雑な問題なのですが、教育を通してジェンダー・バイアスやジェンダー不平等のない社会構造へと変えていくために、データを使って問題提起していきたいと考えています。

 

バンコクで行われたワークショップに参加した際の様子。
UNICEF バンコクで行われたワークショップに参加した際の様子。

複数の国際機関や大学でのご勤務を経験されていますが、どのような軸や信念を持って今までのキャリアを歩んでこられましたか。

教育学と心理学、両方興味があり、どちらも学ぶことができる筑波大学に入学しました。そこで、社会貢献に関心の高い同級生たちに出会いました。高校までスポーツばかりやってきた自分にとって、彼らの存在はすごく新鮮でした。大学2年生の頃、友人に誘われて、ネパールで人形劇をやりながら教育や栄養に関する啓発活動をしたのですが、これがすごく楽しかったのです。これがきっかけで、海外で仕事がしたいと思うようになり、大学3年時に一年間留学しました。帰国・大学卒業後、一年間働いたのですが、結局すぐ青年海外協力隊へ行くことに決め、バヌアツで青少年活動隊員として若者の更生事業に携わりました。その後、コロンビア大学国際公共政策大学院へ進み統計学を学びました。統計学を選んだのは、開発・社会政策において現実を客観的に把握する必要があるのと、統計分析は大学院で初めて学んだのですが、パズルゲームをしているようで好きだったからです。

卒業後はジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてILOのバンコク事務所に配属されました。上司が日本人だったのですが、本当に仕事のできる方で、みっちり鍛えてもらいました。家計調査の質問票の作成や、データの分析、政策課題に応えるためにどのようなデータが必要かを調査をデザインする段階で逆算する、という仕事の経験は、今でも非常に役立っています。

JPO後は博士後期課程へ進みました。在籍していたのは32歳から36歳頃と、博士号に進む年齢としては比較的遅い方でしたね。博士号をとっても特段給料が増えるわけでもないし、その間働けないので生涯年収も下がります。しかし、博士号で学んだことは今の仕事にとても活きています。

博士号取得後、UNICEF東アジア・太平洋地域事務所でコンサルタントとして働き、2011年に教育チーフとしてケニア事務所に赴任しました。この年はケニアやソマリアなどの「アフリカの角」と呼ばれる国々で大飢饉が発生し、本当に忙しく、ストレスで耳が聞こえなくなったほどでした。しかも結婚して子どもが生まれたばかりだった上に、実家の福島県が東日本大震災で被災しました。震災後の1カ月は日本に一時帰国し、日本ユニセフ協会の復興支援業務を手伝いました。

その後、実家が被災したので日本に帰りやすいアジアで働きたかったことや、緊急災害支援への参加で疲れを感じていたこと、大学でも教えてみたかったことなど様々な理由から、香港中文大学で教鞭をとりました。自由に研究できるのは非常に面白く、学ぶ意欲の高い生徒に自分の技をすべて伝えることにやりがいを感じました。しかし勉強したくない生徒に寄り添って、モチベーションを上げて導いていく、ということにどうしても興味が持てませんでした。自分自身もそうだったので、そういう学生の気持ちもわかるのですが、自分は先生向きではないなと思ったのです。

教鞭をとる傍ら、UNICEFシリア事務所やイラク事務所のコンサルタントもしていました。人道支援下ではなかなか教育へお金が回ってこないのですが、子どもの保護や、社会的・精神的幸福という観点からも教育は重要です。このときのシリア事務所の教育専門官が、自分がケニア教育チーフ時代に一緒に働いたスタッフだったりと、人とのつながりもありました。このような仕事を通じて、UNICEFに職員として戻りたいと思うようになりました。

そして空席公募への応募を経て、ニューヨーク本部で働き始めました。本部ではUNICEFのシニアマネジメントと調整する機会も多く、初めての体験も多かったので苦労したこともありましたが、本部で働き始めてもう6年目に入ります。これまでのキャリアを振り返ると、教育に関わる様々な分野をカバーできたなと思います。幼稚園から高校までの、教育財政、障がいを持った子どもへの支援、緊急人道支援などにも携わりました。今思えば、教育の色々な分野についての知識が深まったので、データから教育にアプローチできたのは、プロフェッショナルな成長という視点からとても素晴らしい機会を与えてもらったと思います。

ラオスへの出張の際の様子。
UNICEF ラオスへの出張の際の様子。

UNICEFで働きたいと思ったきっかけを教えてください。

子どもの時代から教育に関わる仕事に就きたいと思っていました。私の父は高卒で、母は大学中退。祖父母は小学校までしか学校に通えませんでした。でもみんな立派な人です。自分は生まれてきた時代が違ったので、大学院まで卒業することができました。一方で、世界には学校に行けない子どもがたくさんいます。青年海外協力隊として過ごしたバヌアツで、ある日庭先を掃除している少女に出会いました。声をかけると、小さな声で、視線を下げたまま、「弟が今年から学校に行くから、私は家の手伝いをしないといけないの」と答えました。「会話は冗談で終えることが文化」と言えるほど、普段は朗らかなバヌアツ人の女の子が、じっと押し黙ってしまったので、「彼女は本当に学校に行きたかったんだ。」と衝撃を受けていたたまれない気持ちになりました。一方、私は何もその子にしてあげれることがなく、今でもその子との会話は心に刻み込まれています。これが、誰もが学校へ行けるようにする仕事がしたいと思ったきっかけかもしれません。

私は一度UNICEFを離れ、再び戻ってきました。戻りたいと思った理由は、以前働いていたときに一緒に働く人が面白かったからです。UNICEFのスタッフは皆、多様な背景を持っています。たとえばケニアでは、現地の校長会会長だったような年上の部下がおり、「彼がケニアの教育について描くビジョンの実現をサポートするために、自分はここに来たんだろうな。」と思うほど、影響を受けました。また、ルワンダ虐殺で家族が殺されてしまった人、もともと難民だったけれど、その後教育を受けてUNICEFスタッフになった人など、立派な人にも出会いました。そういう人に、出会えるのがUNICEFで仕事することの面白味の一つです。

シリアの国事務所のスタッフと。
UNICEF シリアの国事務所のスタッフと。

UNICEFで働き続けるやりがいや、原動力は何ですか。   

「世界中の子どもたちが住みよい社会を築く。」というマンデートを実現するためにベストな場所がUNICEFであると信じて働いています。UNICEFは様々な活動をしてきましたし、世界的に評価されてますが、まだまだできることがあるのではないかと思います。

私が個人的に重要だと思っていることは、先進国から開発途上国を含むすべての子どもの権利を守ることです。UNICEFは伝統的に緊急災害や低開発諸国での活動していますが、先進国にも目を向けるべき子どもがたくさんいると思います。たとえば、性的搾取に関するデータは、アフリカのものは豊富にありますが、先進国では限られています。特に被害者が男の子の場合のデータがありません。問題はあるのに、先進国という理由だけで目を向けられていないのです。世界中の子どもの権利を守るという観点から、このような問題を放置しておくわけにはいきません。子どもの権利とは具体的にどのようなものか、どのようなデータをとり、モニタリングすればよいのかについて、UNICEFは世界各国と一緒に取り組み、アドバイスすることができます。重要だけれど、今はなかなか認知されていない問題をより多くの人々、特に意思決定者に知ってもらうことが、今後ますます必要になってくるのではないかと思います。そのために、データは大切ですし、社会開発の重要分野としてもっと投資されるべきです。

また、UNICEFは緊急人道支援の現場で非常に頼りにされています。たとえば、政府系援助機関が自前のオペレーションを持っていないところをUNICEFが請け負う一方、被援助国側政府との関係構築も行い、人道的支援を確実に人々に届けています。このような支援は今後も必要とされるでしょう。その一方、この数十年間で、一部の開発途上国と呼ばれる国は大きく経済発展し、国家予算もそれに比例して大きくなってきています。中所得国と呼ばれる国家では、政府のシステムを強化したり、問題解決するために政府の予算をつけ持続的なアプローチをとることで、より多くの被えき者に、大きなインパクトをもたらすプロジェクトを実施することができます。

UNICEFで働くことを目指す若者へメッセージをお願いします。

UNICEFには、人の想いをつなげて、より良い社会を作っていくという気持ちで働いている人が多いように思います。私自身も、自分の先生の意志を受け継いで働いているという自覚があります。私の大学院時代の恩師はアメリカの教育経済学の創始者と言える人で、アメリカの様々な政策に影響を与えました。たとえば、若者が高校を中退しないようサポートすることが、若者の教育を受ける権利として大切であるのみならず、政府の財政削減や経済発展にとって重要であることを証明しました。私は、教育は一人ひとりが自分の能力を発揮するため、そして格差を埋めるためのシステムであるべきだと考えます。私のこのような考えも、自分一人で培ったものだけでなく、先人達の思いに共感したり、同僚から感銘を受けたりして形作られてきました。「一度UNICEFに入ったら一生UNICEF」という言葉があるくらい、UNICEFや子どもに対する思いの強い職員が多い職場です。ぜひ皆さんに、仲間に入ってもらって、色々アイディアを交換したり、色々な思いをつなげ、子どもたちにとってよりよい社会の実現に向かって一緒に活動できたら嬉しいです。

 

インターン後記(崎山実樹)

統計のお仕事というと私にとってはなじみが薄く、どれだけ水野谷さんのお話を理解できるだろうかと不安に思いながら始めたインタビューでしたが、具体的な例を出してお話しくださり、水野谷さんのお仕事について数多く知ることができました。「現場主義のUNICEFで自分の仕事は異質」とおっしゃっていましたが、水野谷さんが統計データに基づくエビデンスを重視しているのは、現場の子どもたちに、より大きな、より彼らの必要としているインパクトを効果的に与えるためであると理解しました。