第31回 ジュネーブ民間連携本部 兼高佐和子
企業パートナーシップ専門官
大学卒業後、外資系企業にてマーケティングや広報担当として勤務。ロンドンの大学院にてGlobal Media and Cultural Studiesの修士号を取得後、駐日英国大使館、WFP(国連世界食糧計画)勤務を経て、JPOとしてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)コペンハーゲン事務所の民間連携本部に勤務。2017年より現職。

兼高佐和子(かねたか さわこ)さんにUNICEFでの仕事やこれまでのキャリアに関する5つの質問をしました。
現在どのようなお仕事をされていますか
ジュネーブにあるUNICEF民間連携本部で働いています。民間連携は、企業や財団、個人などの色々な形があるのですが、私は企業とのパートナーシップを開拓・構築する仕事をしており、スイス、北欧を中心にヨーロッパを担当しています。企業への提案書づくりや連携アイデアの考案、大きな案件の際には各国のUNICEFの企業連携担当者たちと、企業へのパートナーシップのプレゼンもしています。
部署を超えた仕事ができるのも今の仕事の魅力で、私は企業チームの中で、緊急支援のグローバルリーダーをしています。例えば、自然災害や紛争が発生した際に、緊急追加資金が必要になるのですが、UNICEFの本部やジュネーブの緊急支援部や地域・国事務所と連携し、企業向けの緊急アピールを作ったり、企業ドナー向けのウェビナー開催、世界中のUNICEFの企業連携担当者に向けた緊急支援資金調達戦略や成功例の共有を主導したりしています。今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、通常は支援する側だった欧米や日本などのドナー国も大変な状況になったため、未曽有の事態における企業との新しい連携アプローチも考えながら仕事しています。
企業とUNICEFの連携のあり方はいろいろな形があります。例えば、企業からUNICEFの教育、公衆衛生などのプログラムを資金面で支援していただくことや、IT企業から教材をデジタル化する技術を提供していただき、COVID-19下でも学校教育を継続できるようにするという技術面での連携もあります。UNICEFは資金面だけではなく、技術や知識の共有など、多様な形での民間企業との連携を目指しています。

UNICEFで働くまでのキャリアと、UNICEFで働くきっかけについて教えてください
大学では開発途上国の教育について学んだので、教育分野で国際協力に関わりたいと思っていました。卒業後、まずは自分の専門分野を身につけたいと思い、外資系企業でマーケティングや広報、テレビCMを作るといった開発とは全く異なる仕事をしていました。その後、ロンドンの大学院を経て、駐日英国大使館広報部で渉外担当として、ロンドン・オリンピック開催年に絡めた国家ブランディングキャンペーンや、企業からのスポンサーシップを開拓する仕事をしました。
大使館の仕事をしていたのは30歳ごろでした。30歳前後はモヤモヤする時期というか、どう生きていったらいいか悩むことが多い時期ですよね。私はまさしくそうで、このままの環境でいいのかと悩み、学生時代から興味があった国際協力の分野とマーケティングや渉外という自分の専門性を結び付けたいと強く想いはじめていました。その時ちょうどWFPの渉外コンサルタントの募集があり、採用されて、国連そして国際協力の世界に入りました。そしてJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)の試験を受け、UNHCRのコペンハーゲン事務所の民間連携本部に配属されました。
そんな中で、たまたま現職の公募を見つけ、UNICEFへの憧れもあり、挑戦しない理由は無いと思い応募しました。UNICEFは民間連携分野ではNo.1の国連機関ですし、知名度が高く、ブランド力があります。UNICEFで自分の知識を向上させたい、力を試したいという想いがありました。また、学生時代に学んだ教育分野に関わりたいという気持ちも強くありました。WFPやUNHCRも教育支援には関わっていますが、UNICEFはより教育分野を大きな柱にしている組織だと思います。
キャリアを選択していく上で大切にしたことは、社会貢献や人道支援に繋がる仕事を選ぶことですね。企業で働いていた時も、ビジネス自体がアフリカや途上国の生活を向上させるミッションを持ち製品を作っている企業を選択しました。国連で働きはじめてからは、人道支援に携わる3つの機関で働いてきました。気がついたら、人道支援が仕事のテーマの中心にありますね。
どのような子ども時代、学生時代を過ごしましたか
本を読むことがとても好きな子どもでした。まだ字が読めない頃から、毎日母が本を2冊読んでくれていたそうです。それから、学校が大好きで、学校での出来事を、家でよく話していたそうです。本を読んで学ぶことや学校に行くことが当たり前だと思っていたので、世界にはそれが当たり前ではない子どもたちがいると知った時には、衝撃を受けて、大学で途上国の教育を学ぼうと思いました。
学生時代は、興味があることは色々とチャレンジして、多様な背景・興味を持つ人と関わりました。自分の専門以外の授業も選択しましたし、イギリス留学やスタディーツアー、農業といった学外での活動もしました。国連は、様々なバックグラウンドや専門分野を持つ人たちがチームを作って仕事をしています。今になって振り返ると、自分と違う考え方をする人に、まず話を聞いて、一緒に解決方法を考えていくという下地を、学生時代に作ることができたんだと思っています。

仕事の原動力や、やりがいはなんですか
やはり、現場の声から力をもらうことが多いです。どれだけ自分の仕事が、子どもたちのために役に立っているかを知った時にパワーをもらいますね。数年前、担当していたドナーの女子教育支援プログラムが実施されているヨルダンの難民キャンプに行きました。支援が行われていなかった頃は、最低限の教育しか受けることができなかった女の子たちが、コンピューターの使い方を学んだりする中で、「学校の先生になりたい」「お医者さんになりたい」という夢を話しているのを聞いたとき、心からこの仕事をやっていてよかったと感じました。
また、企業との難しい交渉をまとめて、新しいパートナーシップを生み出すことができたときにも、「ゼロから何かを形にした」というものすごい達成感があります。

UNICEFで働くことを目指す人へメッセージをお願いします
失敗を恐れないで、興味のあることにどんどんチャレンジしてほしいです。私も、色々失敗してきましたが、紆余曲折を経たことは、自分の強みや弱みを理解して経験を積むための時間だったんだと思います。学生時代に国際協力の仕事がしたいと思っていましたが、実際にこの分野に入ったのは30歳を過ぎてからでした。他の人と比べたらきっと遅いと思います。ただ、民間で勤めたからこその経験を活かして、今となっては、企業経験よりも長く国連機関で働いています。以前に、イギリス人上司が、「キャリアというのは車のフロントガラスではなく、バックミラーで見るもの」と言っていました。後から振り返ると、いろいろなことが繋がっている、それがキャリアなのだと思います。なので、前ばかりを見て失敗を恐れすぎることなく、色々なことに挑戦してほしいと思います。
もう1つ伝えたいのは、仲間を大切にしてほしいということです。国連で勤務すると、家族や大切な人と離れ、大きなプレッシャーと向き合わなければならないことがあります。また、意外かもしれませんが、国連では自己主張が強い人よりも、チームワーク良く仕事ができる人がきちんと評価されていると思います。私が所属している部署はメンバーを家族のように大事にしており、のびのびと働きやすい環境です。20代の頃は、民間連携という職種が国連にあるとは考えもしませんでした。UNICEFには、色々な分野の専門家がたくさんいるため、思いもよらないような自分にぴったりの仕事があるかもしれません。専門性があって、チームワークやリーダーシップをとれる人には、国際協力経験の有無に関わらず、UNICEFの扉は開かれていると思います。多くの日本人の皆さんに、ぜひ仲間に加わっていただきたいです。
インタビュー後記(インターン 塚田祐子)
現場の子どもたちを想いながら仕事をするという兼高さんから、UNICEF職員がいかに「すべての子どもたちのために」という使命感や熱意を持って働いているかを感じました。また、失敗や紆余曲折する時間は自分を知ることや、必要な経験であるため、様々なことにチャレンジすることが大切という力強いメッセージにとても勇気づけられました。