第102回 ニューヨーク本部 市川奈緒美

エグゼクティブ・マネジャー(幹部補佐官)

国内の大学卒業後、国内外の企業勤務を経て米国の大学院で修士号を取得。JPO制度でUNICEFバングラデシュ事務所へ赴任し、計画・モニタリング担当として勤務。その後、ニューヨーク本部にて緊急支援や幹部補佐等の業務に従事。2020年に国連事務局に出向し、事務総長室、およびグローバル・コミュニケーション局(大阪・関西万博担当)で勤務。2026年1月にUNICEFへ復帰、現職。 

2025年7月、大阪・関西万博の国連パビリオンで行ったUNICEFの「箱の中の幼稚園乳幼児期の子どもの発達 」に関する展示を紹介する様子。
UN/2025 2025年7月、大阪・関西万博の国連パビリオンで行ったUNICEFの乳幼児期の子どもの発達 に関する展示を紹介する様子。(写真右端)UNICEFは、紛争や災害などの緊急時においても子どもたちに学びと遊びの場を提供するため、「箱の中の幼稚園」と呼ばれる支援物資を届けている。

現在、どのようなお仕事をしていますか? 

ニューヨーク本部の事務局長室で、事務局次長付のエグゼクティブ・マネジャー(幹部補佐官)を務めています。 

私の仕事を一言で表すなら、事務局次長が安心して仕事に集中できるよう、舞台裏であらゆることを整える「何でも屋」です。スケジュール調整、出張準備、会議等の資料やレター、スピーチ等の草案チェック、届いた招待状や依頼の精査など、業務は多岐にわたります。トラブルや急な予定変更にも対応するため、休日に急遽業務に当たることも少なくありません。状況を先読みし、必要な人と情報をつなぎながら、事務局次長とチームが円滑に業務を進められるよう支えることが、私の役割です。 

事務局次長は非常に多忙で、出張が多いこともあり、直接顔を合わせて話す機会は限られています。そのような状況だからこそ、常に何が優先事項かを理解し、プロフェッショナルな信頼関係を築くことが重要です。その信頼関係が、日々の迅速な判断と対応を支えています。 

UNICEFバングラデシュ事務所の同僚と。(写真左端)
UNICEF Bangladesh/2003 UNICEFバングラデシュ事務所の同僚と。(写真左端)

これまでのキャリアと、UNICEFで働こうと思ったきっかけについて教えてください。

もともと開発や人道支援を志していたというより、国際的な仕事がしたいという思いが先にありました。そのためには英語が必要だと考え、高校時代に3年間米国へ留学をしました。その後は日本の大学を卒業し、国内の企業に就職。京都で国際会議をサポートする仕事をしていました。その頃、たまたま国連環境計画(UNEP)でジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)をしていた女性と出会ったことが、国連を具体的な進路として考えるきっかけになりました。まだインターネットがない時代に、書籍などから限られた情報を集める中で、国際公務員を目指すには英語に加えて別の言語を身につけること、そして修士号を取得することが有利であると知り、フランスの企業に転職。現地で数年間勤務した後、米国の大学院に進み国際行政学修士号を取得しました。卒業後、東京のアジア開発銀行研究所で勤務していた時にJPO試験に合格。2000年にUNICEFバングラデシュ事務所へ赴任し、計画・モニタリング担当官として5年半、子どもに関する全国調査や、UNICEFの国別事業計画の策定プロセスなどに携わりました。開発分野の職務経験がなく、ジェネラリストだった私にとって、子どもを取り巻く課題を分野横断的に捉えながら、開発のあり方や国連機関の役割を幅広く学ぶ機会になりました。 

2005年にUNICEFニューヨーク本部の緊急支援室へ異動。当時UNICEFが8カ国で展開していたスマトラ沖地震・津波の支援状況を報告書にまとめる業務を担当しました。その後、UNICEFの組織的な緊急支援能力を強化する世界規模のプロジェクトのマネジャーとして、プロジェクト管理、ドナー対応などを経験。その流れで緊急支援室そのものの財務や人事などのオペレーション管理、そして緊急支援室ディレクターの補佐業務も担うことになりました。2017年にはUNICEF本部の事務局長室へ異動、事務局次長の補佐を務めました。

2020年、UNICEFから職員貸与制度で国連事務局に派遣され、国連副事務総長の幹部調整官として勤務しました。さらに2023年12月からは国連グローバル・コミュニケーション局に出向し、2025年に開催された大阪・関西万博の国連参画を、全体の企画から万博期間中の運営まで担当しました。 

モハメッド国連副事務総長(右から2番目)、第7第UNICEF事務局長ヘンリエッタ・フォア(左から2番目)、UNICEFから出向で勤務していた同僚らと。(写真左端)
UN/2022 モハメッド国連副事務総長(右から2番目)、第7第UNICEF事務局長ヘンリエッタ・フォア(左から2番目)、UNICEFから出向で勤務していた同僚らと。(写真左端)

UNICEFで働くなかで感じる難しさや、やりがいについて教えてください。 

バングラデシュでの赴任を終えてニューヨークで勤務し始めた頃は、「数年でまた現場へ戻るだろう」と思っていましたが、気がつけば20年以上ニューヨークで勤務することになりました。UNICEFは現場中心の組織ですから、本部で長く働くことに迷いや葛藤を感じることもあります。一方で、本部での経験を通じて、組織運営やマネジメントに関する知見に加え、幹部補佐(エグゼクティブ・マネジメント)という専門性を身につけることができました。毎日、さまざまな部署や地域・国事務所、他の国際機関、そして外部のパートナーと関わることで、UNICEFという組織をより広い視点から客観的に見る力も養われました。補佐官の仕事は、華やかな場面に立つ仕事ではありません。それでも、「情報をつなぎ、人をつなげる」ことで組織が円滑に動くようなサポートができることに、大きなやりがいを感じています。 

また、自主的に始めた仕事が、次のチャンスにつながったこともありました。本部の緊急支援室で働いていた時、部署内の財務や人事の最新状況を把握できるシステムがないことに気づき、自ら月次レポートの作成に着手しました。その取り組みがマネジメントに評価され、緊急支援室のオペレーション管理を任されることになりました。職場の中で改善できる点を見つけ、自分なりに行動したことが、新たな扉を開いてくれたのです。 

複数指標クラスター調査の2000年度全国調査報告書のプレゼンをバングラデシュ・チャンドプール県でする様子。
UNICEF Bangladesh/2003 複数指標クラスター調査の2000年度全国調査報告書のプレゼンをバングラデシュ・チャンドプール県でする様子。

「この仕事をしていてよかった」と感じた出来事などがあれば教えてください。 

国際社会に貢献できること、世界中から集まった多様な人たちと一緒に働けること、そして子どもがいても働きやすい環境に恵まれていることに、日々ありがたく感じています。 

これまでの経験を通じて、自分の強みは、さまざまな人や部署、組織をつなぎ、協力しながら物事を前へ進めることにあるのではないかと考えるようになりました。その原点の一つが、バングラデシュで携わった、新生児の出生時体重調査です。 

当時、ほとんどの新生児は医療施設ではなくそれぞれの家庭で生まれており、全国レベルで出生時体重や健康状態を把握できていませんでした。そこでUNICEFは、バングラデシュ政府統計局や現地NGOと連携し、独自の調査方法を試みました。NGOの地域スタッフが調査対象地域にある家々をすべて訪問し、妊産婦のいる世帯をマッピング。出産の連絡を受けると、すぐにその家庭を訪問し、定められた機材を使って、一定時間内に新生児の体重と身長を測定しました。一年間に渡って行われたこの調査により、バングラデシュで初めて全国規模の出生時体重に関する貴重なデータを得ることができ、その後の母子保健政策やUNICEFの支援方針にも反映されました。UNICEFだけでは実現できない成果を、政府、現地NGO、それぞれの強みを持ち寄り、力を合わせて形にする喜びを実感しました。

また、昨年の大阪・関西万博での仕事も、これまでのキャリアの中で特に密度の濃い経験となりました。国連パビリオンのコンセプトづくりから、日本政府や万博協会との調整、約50の国連機関・部局との連携、企業などとの協力、運営計画まで、ほぼゼロから立ち上げに携わりました。また、6カ月間の会期中は国連パビリオン館長として大阪に勤務。UNICEFと国連事務局、それぞれの立場で培った経験を生かしながら、現場運営からイベントの企画・参加、VIP対応まで、目まぐるしくも充実した日々を過ごしました。自身が大卒後に就職した国内企業にも協力いただくなど、これまでのつながりや経験を生かすことができ、「この仕事に携われて本当によかった」と心から実感しました。

2025年8月、大阪・関西万博の「国連デー」にて、アントニオ・グテーレス国連事務総長(写真前列左から5番目)、山﨑和之 特命全権大使・国際連合日本政府常駐代表(写真中央)、国連パビリオンスタッフらと一緒に。(前列左から4番目)
UN/2025 2025年8月、大阪・関西万博の「国連デー」にて、アントニオ・グテーレス国連事務総長(写真前列左から5番目)、山﨑和之 特命全権大使・国際連合日本政府常駐代表(写真中央)、国連パビリオンスタッフらと一緒に。(前列左から4番目)

UNICEFや国連で働くことに関心のある若い世代へのメッセージをお願いします。 

若いうちは、将来の目標やキャリアプランがまだ明確ではないかもしれませんが、まずは目の前の仕事に向き合っていくことが大切なのではないかと思います。「これは自分の仕事ではない」「将来の役に立たない」と決めつけず、一つひとつの仕事を丁寧に続けていけば、その経験はいつかきっと役立ちます。また、小さなことでもよいので新しいやり方を試したり、自分の担当以外の職務にも関心を持って手伝ったりする柔軟な視点と、変化を恐れずに挑戦する姿勢をぜひ持ち続けてください。私自身、50歳で国連事務局へ出向したことは大きな転機となりました。知り合いもいない新しい環境へ飛び込んだことは、自分の可能性を改めて見つめ直す良い機会になりました。 

キャリアのゴールは、必ずしも国際機関に入ることや、昇進していくことだけではないと思います。周囲と比べることなく、皆さん一人ひとりが、自分らしく、やりがいを感じられる仕事を見つけていけることを願っています。