第57回 南アジア地域事務所 関根 一貴
保健専門官
英国の大学院で貧困削減・開発マネジメント修士号、公衆衛生修士号、疫学修士号を取得し、東京大学大学院で博士号(保健学)を取得。2006年からアジアとアフリカで女性と子どもの保健の改善、保健システム強化、感染症対策に取り組む。2012年にJPOとしてUNICEFパキスタン事務所に赴任。その後、UNICEFネパール事務所やシエラレオネ事務所、国連人口基金(UNFPA)ミャンマー事務所で勤務し、2022年5月から現職。

現在、どのような仕事をしていますか?
今年の5月から、南アジア地域事務所で保健専門官として働いています。南アジア地域の8カ国を担当する事務所で、私は管轄する国事務所の母子保健プログラムを支援しています。地域事務所は直接現地でプログラムを実施するのではなく、関係者へのアドボカシー、パートナーシップの構築、技術支援、説明責任を果たし行動を起こすためのデータ構築、知識の創出(knowledge generation)、地域内での経験の共有を主な業務内容としています。私の担当である新生児保健分野では新生児死亡と死産の削減を目標にしています。そのために、南アジア各国の母子保健の状況を分析し、効果的な支援になるように国事務所のプログラムに対して技術支援や提言を行っています。
パキスタンで発生した洪水により被災した人々への緊急支援をサポートするため、10月から11月にかけて同国に派遣されました。地域事務所のスタッフは、管轄する国で災害が発生し、緊急支援が必要になった場合、現場に駆けつけて対応をサポートすることがあります。私は、UNICEFパキスタン事務所が国内7カ所に設置した臨時事務所の一つであるシンド州のハイデラバードの事務所にて、同州南部における保健分野の支援に携わりました。業務内容は、緊急支援の計画策定とモニタリング、州政府・県保健局・他支援団体との調整などで、具体的には1)州政府と県保健局とUNICEFの支援内容についての協議、2)州政府・県保健局に提供した医薬品や医療物資の被災者への配布状況のモニタリング、3)UNICEFが支援する巡回診療の医療サービス状況のモニタリング、4)支援の重複を防ぎ、支援物資が届いていない地域に支援を提供するための政府機関、国連機関、NGOとの調整を行いました。今回の洪水対応では、州政府からUNICEFが一番早く支援を開始してくれたと感謝されたことから、UNICEFの緊急支援での迅速さと機動力の高さを改めて感じました。

国際協力の道に進んだきっかけは何ですか?
大学受験の小論文対策をする中で国際問題についての本を読み、開発途上国の貧困問題について考えるようになり、国際協力の仕事について意識し始めました。英語が好きだったこと、専攻を自分で選べること、少人数のクラスで教員との距離が近かったことなどもあり、米国の大学に入学しました。入学当初から国際協力の分野で働くという目標があったので、学びの目的意識や主体性が得られたことは大きかったです。また、インターンシップが単位になる大学だったため、民間企業や国際機関で4つのインターンシップを経験しました。卒業後は英国の大学院に進学することを決めていたため、就職活動はしませんでした。大学院進学前に開発途上国で実務経験を積みたいと思い、無給のインターンシップでケニアのNGOでHIV/エイズ予防活動に従事しました。そのことがきっかけで、公衆衛生・国際保健に出会いました。足の裏に虫の卵が産み付けられたり、立ち寄ったトイレで紙も水もなくて窓から手を伸ばして葉っぱでお尻を拭いたり、過酷な環境でしたが、ケニアでの経験が国際協力のキャリアを踏み出すきっかけになりました。
これまでのキャリアとUNICEF で働こうと思ったきっかけを教えてください。
英国バーミンガム大学大学院の修士課程では貧困削減について学び、貧困を削減するためには、社会開発、経済成長、ガバナンスの向上、マイクロファイナンスなど、様々な方法がある中で、私が特に関心のあった国際保健に特化することにし、もう1年英国に残ってロンドン大学公衆衛生・熱帯医学大学院で公衆衛生を勉強しました。その後、新卒でインドネシアの津波復興支援を行っていたNGOに就職しました。派遣されたインドネシアの田舎では、住居は手配されていたものの、給料が少なく留学費用を返済できず苦労しました。それでも国際協力にしがみつき、東ティモールで活動するNGOで母子保健事業に従事した後、JICA本部の南アジア部と人間開発部で勤務しました。
その後、JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)としてUNICEFパキスタン事務所に赴任し、セックスワーカーや男性間性交渉者を対象としたHIVを含む性病の予防プロジェクトを立ち上げて指揮しました。JPO3年目の契約更新のタイミングでネパール事務所に異動しました。ネパールでは2015年に大地震が発生し、保健専門官として緊急復興支援と母子保健に携わり、コレラのアウトブレイク時の対応にも従事しました。疫学を勉強していたので、感染症のアウトブレイク対応に関する仕事は非常にやりがいを感じました。2017年には、エボラ出血熱終息後のシエラレオネで保健システム強化に携わり、その後、性と生殖に関する健康(リプロダクティブヘルス)を専門にしたい考え、2018年からUNFPAミャンマー・シトウェで現場事務所長として働きました。また、リプロダクティブヘルスと児童婚に関するテーマを研究し、社会人をしながら8年かけて博士号を取得しました。博士課程と並行して、通信教育で疫学修士号も取得しました。
UNICEFを志望したのは、開発途上国の女性と子どもの保健の改善に貢献したいと思ったことが一番の理由です。また、UNICEFは現場レベルで存在感を発揮していて、効果的な支援を実施するために保健戦略の策定支援、医療従事者の能力強化、保健システム強化、社会・行動変容、サービスの提供、知識の創出、アドボカシーなど幅広いアプローチを各国のニーズに合わせて組み合わせることができます。その他、子どもの権利の実現に向けて分野を横断したプログラムを実施できることや、プログラムの計画と実施の柔軟性が高いため実行性が高いことも魅力だと考えています。

複数の領域で修士号を取得し、社会人になってから博士号も取得されていますが、どのように専門性を身につけ、仕事に活かしていますか?
国際協力では「専門性」という、つかみどころがない言葉がよく使われています。専門家になるためには専門性が必要ということは皆が分かっていることだと思いますが、悩んでいる人は多いと思います。私もそうでした。専門性に関する疑問や悩みは、大きく次のように分けられるのではないかと考えています。それは、専門性をどのように身につければいいのか、どの程度の専門性が求められているか、そして、自分が十分な専門性を身につけているかわからない、というものです。これらに対する私の答えはとても単純で、修士号を取って実務経験を積むことを勧めています。この業界では、修士号をもっているだけで専門性があると評価されることは少ないので、関連する分野の実務経験が必要になります。実務経験を積んでいくうちに、それぞれの業務で求められる専門性のレベルを肌で感じ、分かるようになっていきます。また、実際に仕事をしていく中で、自分の専門性は十分か、それともまだまだなのかも分かるようになります。実際に、国連のJPOに合格する人は、NGO、国連のインターンシップや国連ボランティア、青年海外協力隊等を経験して、徐々に専門性を高めていった人が多いと思います。実務経験を積むにも、関連する経歴がないと仕事は見つからないと思われるかもしれませんが、関連する修士号とやる気があれば、若手職員を採用してくれる団体はあります。20代のうちであれば、もし国際協力には向いてないと分かっても他の業界に転職することは可能なので、人生の機会費用を比較的小さく抑えられると思います。また、修士課程と社会人経験のどちらを先に経験するのがいいかは、置かれている状況により異なるので、絶対的な答えはないと思っています。
どのようにワークライフバランスをとっていますか?
パキスタンで緊急支援活動に従事し、個人的に以前より意識するようになったのが、職員のウェルビーイングです。パキスタンでは、仕事のストレスに加えて、治安があまりよくない地域のホテルに滞在したため、仕事以外で外出することができませんでした。そういった環境で働いていると、どうしても精神面への影響がでてきます。仕事をする上では、まずは職場が健全であることが必要不可欠であると考えています。残業がなく柔軟性のある雇用形態であっても、職場環境が人間関係やチームワークに悪影響を及ぼすような場所であれば職員のウェルビーイングは損なわれてしまいます。そのため、健全な職場になるように声を上げる、行動するなど心がけています。UNICEFでは、職場の心理的安全性や職員への心理社会的サポートについて言及されることが増えました。UNICEFにはスタッフカウンセラーが職員として常駐しており、以前よりも職員のウェルビーイングに対する取り組みに力を入れているように感じます。
また、プライベートでは、職場とは別のコミュニティに所属するということを心がけています。私の場合は、ネパールでサッカーをしており、仕事と関係のない付き合いを大切にしています。アイデンティティを保ったり、人間関係を育めるコミュニティに属することは、文化の異なる海外で暮らす上では重要ではないかと感じています。また、UNICEFで働いていると数年ごとに勤務地が変わるため、仕事と家族との両立が難しい職業だとよく言われます。私自身も現在家族と離れて暮らしているので、子どもの学業や将来のことを考えると、仕事と家庭の両立が今後の課題です。

UNICEFで働くことを目指す若者・社会人へメッセージをお願いします。
国連職員を目指すのであれば、できるだけ早くこの業界に入ることをお勧めします。広報、財務、人事、調達が専門であれば、民間企業での経験はかなりプラスになると思います。しかし、例えば保健、栄養、水と衛生、子どもの保護、教育、社会政策などの領域でUNICEFでのキャリアを築きたいのであれば、個人的には、できるだけ早く国際協力の世界に飛び込み実務経験を積むことをお勧めします。日本国内でも、関連分野の経験を積んだり、プロジェクトマネジメントなど学ぶことはできますが、開発途上国の多国籍な現場で専門に関する職務経験を積んだ方が、UNICEFのキャリアでは有利に働くと考えます。
私がどうしてUNICEFで働くことになったのか、どうしてこれまで働いてこれたのかについて、後から理由付けすることはできますが、一番の大きな要因は運と成り行きだと思っています。一貫して国際協力と国際保健に関わってきましたが、別の人生を歩んでいても不思議ではありませんでした。頭が良かったわけではなく、夢中になれることをいろいろやって、公衆衛生・国際保健に出会ってそれを長く続けてきたことで、たまたま今もUNICEFで働いていると思っています。
生物学者の福岡伸一さんが書いた『ルリボシカミキリの青』という本にこんな一節があります。「大切なのは、何か一つ好きなことがあること、そしてその好きなことがずっと好きであり続けられることの旅程が、驚くほど豊かで、君を一瞬たりともあきさせることがないということ。そしてそれは静かに君を励ましつづける。最後の最後まで励ましつづける。」
好きなことは楽しいし、もっと知りたいと思うでしょう。好きなことを大切にして、行動することで世界はどんどん広がっていきます。キャリア形成では運や偶然の要素が多いですが、その運を手繰り寄せるためには、熱中できるものにこだわって、度胸と覚悟をもって自分の道を進んでほしいと思います。
ただ、最後に現実的なことをお話しすると、UNICEFの仕事は誰にでもお勧めできる仕事ではないということも付け加えておきたいと思います。生き残りが厳しく、プライベートとの両立の難しさ、育児や親の介護などの家族の事情、想像していた仕事とは異なっていたなどの理由で国連を離れる人もいます。おそらくUNICEFの8割くらいの職員は国事務所で勤務していますが、現場で働いていると食中毒で腹痛になったり、マラリアやデング熱にかかったり、質の高い医療が受けられなかったり、環境汚染がひどかったり、また、治安が悪い国では仕事以外ではあまり外出ができないなど様々なリスクやストレスに対処しなければなりません。特に自国を離れて働く職員の方が影響を受けやすい傾向にあります。非常にやりがいのある職業ではありますが、そのような面も考慮する必要があることは知っておくといいと思います。
インタビュー後記(インターン 佐藤 公彦)
「私も専門性については悩みました」とおっしゃられた関根さんの表情が印象的でした。複数の修士号を取得され、働きながら博士号もとられた関根さんは、傍目には順調な専門家の道を歩んでこられたように見えます。しかし、専門性を身につけるためには必ず実務経験を積むこととセットで考えないといけない、とおっしゃられた関根さんのお言葉からは、ご自身も長く試行錯誤しながら専門性との付き合い方を見出されたことを感じました。キャリアを考えていく上での大切な指針をいただいたように感じます。