第38回 タイ事務所 師岡イマン

コミュニケーションチーフ

エジプトの大学卒業後、日本で民間企業に勤務。大学院で修士号を取得し、2006年からUNICEF勤務。エジプト事務所、ソマリア事務所、NY本部、カンボジア事務所を経て、2019年より現職。本部勤務中にはシリアと南スーダンで人道支援にも従事。

国際女性デーのイニシアチブに参加したタイ事務所コミュニティチームメンバー
UNICEF Thailand/2021/ Songphatanayothin UNICEFタイ事務所代表(右から3番目)とコミュニケーションチームと一緒に映る師岡イマンさん(一番左)。国際女性デーにコミュニケーションチームが企画した、UNICEFタイ事務所代表の仕事に1日密着し追経験するイニシアチブに、2人の若い女性(右から2番目と6番目)が参加。

師岡イマン(もろおか いまん)さんにUNICEFでの仕事やこれまでのキャリアに関する6つの質問をしました。

 

現在、どのような仕事をしていますか。

2019年1月から、バンコクにあるUNICEFタイ事務所でコミュニケーションチーフとして働いています。私のチームは、一般の人を対象にしたアドボカシーキャンペーンから、メディア対応、ソーシャルメディアとデジタルエンゲージメント、コミュニケーションコンテンツの作成、ブランド構築、有名人とのパートナーシップ、若者やボランティアたちとの活動、開発のためのコミュニケーションに至るまで、幅広い業務を担当しています。支援事業やアドボカシー、資金調達など、UNICEFタイ事務所の全体的な目標を達成するために不可欠な、子どもの権利に関するさまざまなアドボカシーや広報活動をチームで形作ることができる、非常に面白い仕事です。とても熱心で活発な広報やコミュニケーションのプロが集まる、活気に満ちたチームを率いることができて、とても幸せです。

タイは高中所得国で、政府の能力が高い国です。そのため、UNICEFがタイで行う事業の多くは、直接的な支援よりも、アドボカシーや政策形成、データとエビデンスの生成、そして国民の意識の向上と社会規範に関する取り組みに焦点を当てています。UNICEFが子どもたちのために結果を出すには、政策とアドボカシーが重要な要素となるため、タイにおけるUNICEFのコミュニケーションの役割は他の多くの国よりも幅が広く、規模も大きいものとなっています。現在のチームは私がこれまでUNICEFで経験した中で最も大きく、チームメンバーや同僚から多くを学びながら、私のこれまでの経験を生かすことができて嬉しく思います。

「UNICEFブルーカーペットショー」終了時の記念写真。
UNICEF Thailand/2021/ Preechapanich UNICEFタイ事務所の資金調達およびコミュニケーションチームが主催する毎年恒例の資金調達を目的とした生放送テレビ番組である「UNICEFブルーカーペットショー」終了時の記念写真。(イマンさんは前列左から3番目)

これまでのキャリアと、UNICEF で働こうと思ったきっかけを教えてください。

UNICEFで働いたことで、多くの場所に行くことができました。そして、そのすべてが全く異なるものでした。私のUNICEFでのキャリアは、2006年に外務省のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)制度で、コミュニケーション担当官としてUNICEFエジプト事務所に赴任したことから始まりました。それ以前は、東京の東映株式会社で1999年から2002年まで美術展のアシスタントプロデューサーとして働いていました。2002年から2006年までは、主にメディアにおいて、フリーランスの日本語―アラビア語の翻訳者として働いたり、NHKワールド・ラジオ日本でアラビア語のラジオ番組の制作に携わったりしました。メディアやエンターテイメントの分野でキャリアの基盤となる時期を過ごしたことで、UNICEFに入職してコミュニケーションの業務に携わるための礎を築くことができたと思います。

私が国連の仕事に興味を持ったのは、大学時代です。1994年にエジプトのカイロ大学政治経済学部で勉強を始めたとき、ルワンダ大虐殺が起こり、メディアで目にしたニュースや写真に大きなショックを受けました。大学の課題で、ルワンダで起こった危機的な状況における国連の役割についての論文を書きました。その時から、さまざまな人道的な問題に取り組む上での国連の役割に常に興味を持っていたと思います。すぐにその道には進みませんでしたが、その想いは決してなくなることはありませんでした。そのため、最初の仕事を始めてわずか数年で、もう一度自分の夢を追いたいと思うようになりました。

そこで私は東映株式会社を退職し、国連大学で人権と国際開発のコースを受講した後、上智大学で修士号を取得しました。研究テーマをアドボカシーに定め、母親の国籍を子どもに継承することを禁止する法律の改正に、エジプトのNGOがどのような貢献を果たしたかについての論文を書きました。そうして専門知識と実務経験を得てJPOに応募し、幸運なことにUNICEFエジプト事務所に配属されました。それ以来UNICEFに勤務し、ソマリア事務所、ニューヨーク本部、カンボジア事務所、そして現在はタイ事務所で働いています。また、本部にいる間、シリアと南スーダンで長期の任務に従事しました。

カンボジアの農村部でのインタビュー。
UNICEF Cambodia/2015/ Raab 同僚と一緒にカンボジアの農村部で2人の男の子にインタビューをする様子。

どのような子ども時代、学生時代を過ごしていましたか。

私は日本人の母親とエジプト人の父親の間に生まれ、二つの文化のもとに生まれ育ちました。日本で生まれ、幼い頃は日本の学校に通っていましたが、8歳のときに家族と一緒にエジプトに移り、大学までの教育をエジプトで受けました。大学卒業後、約7年間日本で働き、UNICEFに入職しました。私はユニークな家庭で育ったため、日本でもエジプトでも、いつも他の仲間と自分は違うと感じていました。周りの環境に完全に溶け込んだと思うことはあまりありませんでした。

たとえば、日本の学校では、イスラム教徒として食べてはいけない豚肉がメニューにあったので、友達と同じ昼食を食べられない日がありました。母は私にお弁当を持たせてくれ、学校では牛乳やヨーグルトを多めにもらったりしました。そのために私に意地悪をする子もいました。エジプトでは、私はエジプト人よりもアジア人に見えるので、外国人だと思われて、言葉を理解していないと思われることがよくありました。子どもの頃は、このような状況を乗り越えることは簡単ではありませんでした。しかし、今は、この育った環境のおかげで、国際的な仕事する上で重要な資質である、レジリエンス(回復力)と多様性を尊重する力を培うことができたと考えています。

 

仕事の原動力ややりがいは何ですか。

私はこの仕事や任務がもたらすチャレンジを楽しんでいます。決して簡単なものではないですし、退屈することもありません。UNICEFは野心的な組織ですが、それは私たちに課せられた素晴らしい使命から来ているものだと思います。UNICEFは子どもたちのために活動しています。子どもたちが健康で強く成長するために、もっと力を尽くしたいと思わない人がいるでしょうか。また、私は、絶えず変化するコミュニケーション分野の仕事が大好きです。今、デジタル革命、ビッグデータ、ハイパーコネクティビティによって、これまで以上に急速な変化が生まれています。常に学ぶ必要があり、決して“停滞”がないこの仕事を楽しんでいます。

また、世界中で最もやりがいがあり、最も魅力的な場所で仕事ができることに心から感謝しています。UNICEFで働くことで、私は紛争地帯や緊急事態下での支援に関わったり、カンボジアやタイのような低中所得国や高中所得国でも働くことができました。コミュニケーションの仕事に求められることやニーズは場所によって大きく異なります。つまり、自分自身を再発見し、進化し続ける必要があります。

そして、私は過去数年間で、チームマネジメントがどれほど楽しいことであるかを学びました。自分の責任だけを果たしていくことよりも大変な仕事ですが、チームとして素晴らしい成果をもたらすことや、チームメンバーが成長する姿を目にしたり、彼らの専門性の向上にも貢献できることが私のモチベーションになっています。そして、私自身も彼らから学んで成長することができます。

シリアで子どもたちと交流する様子。
UNICEF Syria/ 2013/Touma シリアのホムスでの現地視察中に、子どもたちと交流する様子。

緊急支援で印象深いエピソードを教えてください。

ソマリアとシリアでの緊急人道支援の任務には、仕事上でも個人的にも大きな影響を受けたと思います。2008年から2012年までソマリアでの人道支援に貢献し、2013年にシリア危機への支援に携わりました。ソマリアでは、UNICEFが支援する施設に栄養支援を受けに来た重度の栄養不良の子どもたちと母親に会いました。消耗症で苦しむ子どもを見て胸が痛み、これが21世紀の子どもたちに起きている現実であるとは信じられませんでした。UNICEFのこれらの子どもたちへの支援は、文字通り、生と死の問題です。

シリアでは、紛争下であることを常に思い知らされました。一日中爆撃音が聞こえ、迫撃砲が発射や着弾する音が聞こえ、窓が揺れるのが分かりました。私がそこに滞在していた数カ月の間にも、恐ろしいと感じる瞬間が何度かありました。この状況に閉じ込められた子どもたちに与える影響を想像してみてください。それまで映画やテレビでしか見たことのなかった、街が破壊される様子を目撃しました。UNICEFの支援現場や避難所で、母親や父親、子どもたちに話を聞き、メモを取り、記事を書きました。彼らの話を直接聞き、感情的にも精神的に大きな影響を受けました。子どもたちと家族の苦しみを打ち消すことはできませんが、彼らがその後どのような人生を送ってくのかを目にして、彼らのレジリエンスの高さにはとても勇気づけられました。特に大規模な緊急事態では、何をしても十分ではなく、すべての人を助けることはできないと感じますが、緊急性があり、価値があり、やりがいのある仕事です。

人道支援の現場で、私は最も素晴らしい同僚に出会い、その中の何人かは任務中に命を落としました。緊急支援の仕事で築いた友情は、一生続くものです。なぜなら、彼らは単なる同僚や友人ではなく、家族のような存在になるからです。私はそれを本当にありがたいことだと思っています。

ソマリアの母子保健クリニックで母親にインタビューをする様子。
UNICEF Somalia/2011 多くの子どもたちが重度の栄養不良とコレラのような病気の発生に苦しんだ2011年の飢饉の際に、ソマリアのモガディシュにある母子保健クリニックへ訪問し、保健サービスを受けるために赤ちゃんをクリニックに連れてきた母親にインタビューをする様子。

UNICEF で働くことを目指す学生へのメッセージをお願いします。

UNICEFに関わる方法は一つではないと思いますし、UNICEFで働かなくてはそれができないというわけでもありません。例えば、あなたがブロガーまたはYouTuberで、情熱を持って取り組んでいる子どもと若者の権利に関する課題があるとします。あなたにはプラットフォームがあり、声をあげることもできます。それらを通じて、自分の想い伝え、創造的な方法でいくつものUNICEFの子どもの権利キャンペーンに参加することができます。

UNICEFで働きたいと思っている場合は、インターンシップや国連ボランティア、JPO制度を通じて若い専門家として働く、キャリアを積んで、熟練の専門家や特定の分野の専門家として働くなど、さまざまな方法があります。組織でどのようなスキルを活かしたいのか、どのような仕事や事業であなたのスキルを活かすことができるのか、明確な考えを持つことが重要です。UNICEFに入り、この業界でより長期的なキャリアを構築したい場合、私はいつも次のようなアドバイスを送っています。

1)緊急人道支援に従事する機会を見つけること。仕事のペースや要求されるレベルは通常のプログラムとは大きく異なり、慣れない課題やプレッシャーに直面するため、自分自身と自分の可能性について学ぶことができます。私は緊急人道支援での勤務経験を通じて、新しいスキルを習得し、ネットワークを広げ、レジリエンスを高めることができました。

2)地位や契約の種類に基づいて機会を探さないこと。あなたが仕事から何を学ぶことができるか、あなたがもたらす価値、あなたが子どもたちのために何ができるか、そしてあなたがその経験を通してどのように成長することができるかに基づいて選択してください。

UNICEFで働くということは、使命でありコミットメントだと理解することが重要だと思います。 様々な面でやりがいのある仕事ですが、プライベートで諦めなければならないこともあるので、個人的な犠牲を払う覚悟ができていることも重要です。このライフスタイルがあなたの想いに合っているなら、UNICEFは素晴らしい組織です。

 

※本記事は、英語でのインタビューをもとに日本語訳をしたものです。

 

インタビュー後記(インターン 難波祥子)

コミュニケーションという常に進化し続けなければならない仕事に楽しんで取り組む姿勢がとても素敵だと感じました。また、緊急人道支援に携わることで、現地に行かなければ分からないことを経験し、大きな影響を受けたというお話にも非常に感銘を受けました。師岡さんの前向きさと行動力を見習い、自身の成長のために困難なことにも積極的にチャレンジしていきたいと思います。