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UNICEF日本人職員インタビュー

 

第18回 ウガンダ事務所 教育担当官 中島朋子

© UNICEF/PPD Tokyo/2017/Chizuka
「国づくりに少しでも貢献している実感を得られるのは貴重な体験」と話す中島朋子教育担当官=2017年10月19日、UNICEF東京事務所
© UNICEF/Uganda/2017/Nakajima
UNICEFの事業の1つ「基礎教育への就学率と質の向上プロジェクト」を実施している地域の子どもたちやその家族と談笑する中島朋子教育担当官=2017年5月、カラモジャ地域モロト県

慶應義塾大学大学院で教育学修士課程修了。外資系コンサルティング会社を経て、20156月から外務省の広島平和構築人材育成事業の一環として、UNICEFフィリピン事務所に派遣(教育と平和構築担当官)。2017年4月からジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてUNICEFウガンダ事務所で教育担当官として勤務。


難民への緊急支援 

UNICEFウガンダ事務所の教育部門で、教育担当官として主に緊急支援に携わっています。派遣された2017年4月は、ちょうど南スーダンからウガンダへの難民流入がピークの時期。1日平均2千人から3千人の難民が国境を渡って来る状況でした。前の職場のUNICEFフィリピン事務所で、UNボランティア(UNV)として緊急支援の担当をしていたこともあって、着任した当日から主に北部や南西部にいる難民への緊急教育支援を行っています。

緊急支援の仕事は平時の教育支援の仕事とは少し違い、より直接的な支援が中心になってきます。

難民キャンプで子どもたちに対してプログラムを行う際には、地方政府や非政府組織(NGO)等のパートナーと一緒にプログラムを導入します。我々の仕事は、実際にパートナーの人たちが我々と合意をしたことをやっているかどうか、UNICEFが推進する「子どもを中心とした教育」を子どもたちが受けられているかどうか、安全な場所にいられるかどうか、親たちはその間何をしているのか、というようなことをモニタリングしたり、質をチェックしたりします。

また、コスト算定と支援のターゲット選定の責任者として、ウガンダ全体の難民への教育支援の3か年計画の策定にも携わりました。この3カ年計画は、ウガンダで行われる難民に対するすべての教育支援の方針を決定づけ、1人でも多くの難民の子どもたちが安全な環境で、質の高い教育を受けることを実現するうえで、重要なものです。

緊急支援のほかに、平時の教育支援も担当しています。たとえば、カラモジャというウガンダ北東部の地域で小学校教育などの基礎教育分野の支援に携わっていますが、この地域はウガンダの中でも特に困難の多い場所と言われています。2017年は特に気候変動の影響を大きく受け、干ばつで作物が採れず、餓死者が出るような状況でした。このカラモジャ地域では特に女の子が教育を受けることに対する抵抗が根強かったために、女の子の小学校卒業率が非常に低くなっています。

なぜ女の子への教育に反対するのかという理由の1つに、定住していないということが挙げられます。もともとカラモジャでは人々は牛を育てることで生計を立てていました。牛を育てるといっても、日本のように牧場で育てるのはなく、牛を引き連れて草を食べさせ、草を食べてしまったら次の場所へ移動するという遊牧のような暮らしをしています。1カ所に定住するのが難しく、学校に通うのは困難です。さらに、女の子を嫁に出すことが、家族の大切な収入になっているという状況があります。中には初潮を迎えた女の子は売られてしまうケースさえあります。売る価値があるとみなされるのです。牛は彼らのいちばんの財源であり、商品でもありますから、牛60頭と引き換えに、初潮を迎えた女の子を嫁として出す、といったようなことが行われることもあります。つまり、牛を得るための道具と見なされてしまうのです。また、学校に行くと牛追いをする時間がなくなってしまいますし、学校へ行くと女の子たちは知恵をつけて、権利を主張し始めてしまう―。今は徐々に変わってきてはいますが、昔は「教育は敵」という考えが根強かったのですね。

また、学校の先生ですら子どもに性的暴行を加えるなど、ジェンダーに基づく暴力も非常に多い地域です。母親がいくら子どもを学校に通わせたいと思ったとしても父親が家庭内暴力(DV)のような形でそれを止めるというような話もあります。さらに、生理用品を買えるような余裕のある家庭が少ない地域であるため、女の子は生理が来るとその期間学校を休んでしまうことが多い。動くと服に血がついてしまうので、ひどい場合は1日じゅう砂の上に座ってただただ時が過ぎるのを待っているケースもあります。そうすると1カ月の間に1週間ほど学校を休むことになってしまい、生理が終わって学校に戻っても今度は授業についていけなくなってしまう。結局成績が悪化して、「こんなことしていてもしょうがない」と学校を辞めてしまうーという連鎖が生まれます。それを変えるには、父親、母親関係なく、コミュニティー全体の認識にアプローチすることが重要です。長い時間をかけてUNICEFが、教育を受けることは誰もが持っている権利であり、学校は安全な場所でなければならない、という理解を求めてきました。地域でも子どもたちに教育を受けさせ、その中から大学を出るような子どもたちも1人、2人と出てきました。20年前はカラモジャ地域の小学校の卒業率が数パーセントだったのが、今では10パーセント台まで上がってきています。根気強く取り組んでいるような状況です。 


生きた民間でのスキル

UNICEFの教育担当官は、政府と伴走して、国自体の発展に貢献するとともに、緊急支援であれば、いちばんリスクにある子どもたちを政府といっしょに支援を行う立場にあります。例えば、よく誤解されてしまうんですが、私は学校で教科を教える教員免許は持っていますが、学校に行って私が直接教えるわけではないのです。政府と1つでも多くの学校が建つように、1人でも多くの先生が遅配なく給料を受け取れて、きちんとトレーニングを受けられるようにするために、政府の法整備や能力向上をお手伝いしたりしています。データを集めて分析したり、UNICEFの事業のための資金調達も自分たちでしなければなりません。 

社会人としての最初のキャリアの4年間は民間のコンサルティング会社でした。データ分析や他の機関との連絡・調整、などプロジェクトマネージメントの訓練を受けてきたので、今の仕事に直結しています。大量にある生のデータから必要なものを抜き出して、わかりやすいプレゼン資料を作ったり、表計算ソフトで分析して、それをもとにプレゼンしたりするなどのスキルはUNICEFでも役立っています。学生時代は数学は苦手だったんですが、今は数字はパワーだと感じています。「難民がたくさんいるんです」よりも、「ウガンダには140万人難民がいて、82%が女性と子どもで、61%が18歳以下の子どもです」と説明する方が、印象に残るし、子どもの多さを強調できますよね。


多文化環境下でのやりがい 

2015年に平和構築プログラムでUNICEFフィリピン事務所に派遣された時は、「教育と平和構築担当官」という肩書きでした。特にミンダナオ島の紛争影響地域を対象に、小学校や幼稚園児を対象とした教育支援に従事しました。2010年頃に激しい武力衝突がいくつかあり、そこからの回復の段階でした。

支援を行っていたミンダナオ島の地域には反政府勢力が存在しており、またムスリムによる自治権が認められていたため、中央政府の支援は薄いものでした。フィリピン全体で見ると中所得国ということもあり就学率は徐々に上がってきているのですが、ミンダナオ地域に関して言えば教育の普及には障壁があります。しかも、フィリピンでは宗教分離はうたわれてはいるものの、キリスト教国なので掃除の前に讃美歌が流れたり、授業の前にお祈りを唱えることから始まったりする学校がほとんどで、イスラム教の子どもたちにとってはとてもつらい状況なんですよね。そういう状況下で我々が支援していたのは、教育へのアクセスの拡大を目標にしたムスリム向け就学前教育カリキュラムの開発でした。国際的な研究でも、幼稚園等の就学前教育を受けているかいないかで、その後の小学校以降の中退率が大きく変わるという結果が出ています。ムスリム向けカリキュラムは、3、4年ほど費やしてつくったものです。私が関わったのは終盤だったのですが、ムスリムの人々の価値観に配慮しながら、いかにUNICEFが信じる価値とすり合わせるかという点が難しく、着地点を見つけるのは大変でした。

多文化環境で仕事するにあたっては、小さいころアメリカに6年間住んだことや、帰国子女の多い中学・高校に通っていたこと、そして最初に就職した会社が外資系だったことなどが大きく役立っていると感じます。いろいろな国籍の人がいて、そこから違いを感じるというよりは、どちらかというと言語の違いも含めて個性なんだろうという考え方をするようにしています。今の職場は、上司がネパール人、同僚はインド人やベルギー人やウガンダ人…。それぞれ個性があって、それを認め合っているからこそ、いいチームワークが生まれる。私は、どんな人であっても何かをしたり行動を起こしたりする背景には何か理由があるんだろうな、と思うタイプ。違いがあって当たり前だよね、と思います。楽観的なのかもしれません。 


教育は「ひとづくり」 

UNICEFで働きたいと思ったきっかけは、小学校5年生の時に学級委員として携わったユニセフ集会。ユニセフ募金のための箱やパンフレットを渡されたのですが、「箱だけだとわかりづらいから劇をやろう」と提案しました。その時に演じたのはバングラデシュの子の役。ステージの上に椅子を置き、そこに座ってジャガイモを剥きながら言うんです。「あーあ、本当は学校に行きたいのにいけない」って。その台詞を自分で言いながら「学校に行けない子がいるんだ」ってびっくりしたんです。学校に行けない子がいるなんて知らなかった。「学校に行きたくないな」と思う日はあっても、学校に行きたくても行けないなんて考えたこともなかった。同じくらいの年の女の子が働かなきゃいけない、ジャガイモを剥かなきゃいけない…。演じながらその子の立場に立った時にショックを受け、UNICEFの仕事に興味を持ち始めました。どういう組織なのか、詳しいことはまだわかりませんでしたが、「このバングラデシュの女の子がジャガイモを剥かずに学校に行けるようになることを支援している組織なのかな」と感じました。

子どもが好きで、子どものために仕事ができているのは最高に幸せで、恵まれているな、と感じます。今、南スーダンからの難民支援に携わっていて感じるのは、南スーダン難民の人たちの教育に対する意識の高さです。支援がまだまだ足りておらず、1クラスの生徒が多い時には200人を超え、それを1人の先生に教わっている状況です。ぎゅうぎゅうなので息苦しいし、1つの椅子を5人で使ったり、教科書1冊を10人で見たりしています。そんな中、窓の外から教室に身を乗り出して、少しでも授業を聞こうとしている子どもたちもいる。理由を聞くと、南スーダンでは満足に授業を受けられず、小学校を卒業できなかった、と返ってきました。難民になり、きょうだいを殺されたり、性的暴行を受けて兵士の子どもを身ごもったりと絶望的な経験をした。「でも、教育は希望だから」と言うんです。教育だけはウガンダから南スーダンへ持って帰りたいんだ、と。民間企業にいたときには、確かに企業の海外進出の支援したり、経済産業省や国際協力機構(JICA)の仕事も手がけ、経済発展や開発援助をサポートする仕事をしました。でも、「未来をつくる」ことに貢献していると実感できたのはUNICEFの仕事に就いてからです。教育に携わるのは人をつくること、人をつくるというのは国をつくるということだと思います。自分が国づくりに対して少しでも貢献をしているという実感を得られるというのは貴重な経験だと思います。

今後さらに専門性を磨き、知見を広めて、1人でも多くの子どもたちが「本当は学校に行きたかったのに」と言わなくてよい世界になるように、少しでも貢献していけたらと思います。国連の仕事は狭き門だとよく言われますが、UNICEFを目指す皆さんには、ぜひあきらめないで挑戦し続けてくださいと伝えたいですね。

 

 
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