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UNICEF日本人職員インタビュー

 

第16回 シリア ホムス・フィールド事務所 子どもの保護専門官 貝野綾子

© UNICEF/PPD Tokyo/2017/Chizuka
アラビア語の勉強は2009年から始めた。「つたないアラビア語が笑いを誘って、会話のきっかけになることもあります」=2017年9月27日、UNICEF東京事務所

関西大学総合情報学部卒業後、2006年に米国オハイオ州立大学大学院でソーシャルワークの修士号取得。米国のNGOを経て、20099月に青年海外協力隊としてイエメン、シリアで勤務。2012年にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてUNICEFスーダン事務所に派遣。子どもの保護担当官として勤務した後、20171月から現職。

 

厳しい環境下での地雷回避教育

現在勤務している事務所は戦闘が続くシリアにあります。ホムス・フィールド事務所では、子どもの保護専門官として、緊急支援や心理社会的サポート、啓発活動、地雷回避教育などを担当しています。シリアでは地雷被害が本当に深刻です。反体制派勢力は逃げる際に地雷をたくさん埋めて行くので、地雷の被害が絶えません。

地雷回避教育では、教育省のスタッフにトレーニングを受けてもらいます。ポスターやビデオなどがセットになった啓発キットを教育省に提供して、彼らから子どもたちに伝えてもらいます。また、非政府組織(NGO)や他の国連機関のスタッフもトレーニングに参加しています。

反体制派勢力に支配されている地域にも行くことがあります。ほかの国際機関と一緒に隊列を組んで、政府側と反体制派に調整してもらい、道の安全を確保してもらって狙われないようにしなければいけません。危険が伴い、調整にも時間がかかるので月に数回ほどしか行けませんが、子どもたちの生活状況を確認したり、地雷回避教育がゲームになった教材を渡して子どもたちに遊んでもらい、啓発をしています。

また、障がいのある子どもに対する経済的支援も計画しています。シリアは寒暖差が激しく、夏はとても暑く、冬は寒さが厳しいので、服や毛布を支給したりもします。

地雷回避教育や障がいのある子どもたちへの支援以外では、社会福祉システムの構築にも取り組んでいます。NGOと協力してソーシャルワーカーの育成を行っています。社会福祉省はあるものの、予算がつきにくく人材育成になかなか結び付きません。UNICEFはその省とNGOをつなぐ役目をしています。最終的には社会福祉省が社会福祉システムを運営できるようにするのが目標です。

ホムスでは、外出する際は防弾車に乗らないといけませんし、夜間も出歩けません。3月くらいまではロケットの音が聞こえていましたし、今も戦闘機や爆発音が聞こえてきます。楽しみは気の合う同僚とおしゃべりをするくらい。体を動かして気分転換をすることもあります。


心に響いた「はだしのゲン」

小学生の時に漫画「はだしのゲン」を読んだのがUNICEFを志すきっかけでした。「戦争ってこんなにもひどいことができてしまうんだ」とショックを受け、国際協力に漠然と興味を持ちました。

ボランティアに興味があり、大学では青年海外協力隊の経験がある先生のゼミに入りました。その頃に偶然見たNHKのドキュメンタリーは今でも覚えています。紛争後のシエラレオネを取り上げた番組で、建物などハード面での援助はたくさん入ったものの、ソフト面での援助、たとえば元子ども兵士の社会復帰などはまだ道半ば、と締めくくられていました。それを見て、「これがやりたい!」とビビッときました。元子ども兵士のトラウマをどうにか改善できるよう、手助けしたいと思いました。

アメリカの大学院に進んで、カウンセリングやPTSD(心的外傷後ストレス性障害)の治療方法などを勉強し、卒業してからはオハイオ州のNGOでカウンセラーとして働きました。虐待を受けている子どもや里親制度の関係者のカウンセリングを担当したり、犯罪被害に遭ったアジア系難民や移民の方々を支援するプロジェクトに参加したりもしました。


元子ども兵士支援の現場で

青年海外協力隊を経て、JPOとしてスーダンへ派遣され、CAACChildren Affected by Armed Conflict、武力紛争の影響を受けた子どもたち)の事業に参加しました。子ども兵士をどうやって社会復帰させるか、というプログラムです。

私の主な仕事は子どもの権利に対する具体的な6つの違反-殺害や手足の切断、子どもを徴用して武力紛争に使用すること、学校や病院に対する攻撃、レイプその他の重大な性的暴力、誘拐、人道支援の拒否-に焦点を絞ってモニタリングと報告(MRM)を行い、子ども兵士の武装解除、動員解除(正規の軍隊やその他の武装勢力から正式かつ統制的に除隊すること)、社会復帰をサポートすることでした。

長引く武力紛争と経済的な困窮は、子どもたちが政府軍や武装グループに参加しやすい状況をつくってしまいます。私は、NGOなどの現地パートナーや地域住民、家族などからデータを集めて精査し、国連が率いる監視・報告調査特別委員会と調整しつつ、UNICEFのニューヨーク本部へ送る報告書を書いていました。同時に、動員解除が子どもの権利条約に基づいてきちんと行われているか確認しつつ、心理社会的サポートや識字教育、子どもの権利の啓発などのプログラムを通して、元子ども兵士が自分の育った地域に戻るための準備をサポートしていました。

ーダンでは、元子ども兵士が帰る先であるコミュニティー自体が紛争に参加しているため、武装グループとコミュニティーの人々がはっきりと区別できないことが多いという特殊な状況でした。上官が子ども兵士の親戚だったり、近所に住む人だったりします。地域全体が言わば武装グループなので、動員解除において元子ども兵士を武装グループから完全に引き離すことは難しく、また家族が子どもを武装グループに送ることを拒否することも本当に難しいのです。一方、地域住民が紛争に参加するので、元子ども兵士たちは地域でも武装グループの中でもそんなに孤立することはないようでした。子ども兵士たちの家族の中には、あまりの貧しさ故に子どもを武装グループに「売る」家族もあります。しかし、そのような状況にあっても、家族たちはUNICEFUNICEFのパートナーであるNGOなどに信頼を寄せ、いなくなった子どもがいると教えてくれたり、できるだけ子どもたちを守ろうと進んで協力してくれたりしました。

しばしば、ニーズはとても大きいのに、私たちのできることがとても小さく思えて、このような取り組みの意味や目的を考えることがありました。しかし、コミュニティーから寄せられる信頼を感じることで、私自身もがんばって前を向いて進もうと思えました。この経験を通じて、社会復帰の過程で経済的な活動を後押しする取り組みを行うことの重要性を感じました。また、武力紛争で影響を受ける子どもたちの問題に立ち向かうには、子どもたちだけでなく、家族に対する包括的な支援が必要だと思いました。 


日本人として何ができるか

スーダンでは、国連の立場やUNICEFの役割を理解できるようになりました。国連と政府の関係、政治的な動き、日本政府…。中でも実感したのは、「日本人であること」でした。初対面であっても「日本人だから」という理由で相手が私を受け入れてくれる体験をしました。今までにスーダンで日本人が築き上げてきたもののポジティブな影響があり、その恩恵にあずかっているんだと思いました。だからこそ、日本人として何ができるか、ということを考えています。

2次世界大戦で経験したように、戦争は日本にとっても他人事ではありません。今の若い世代の方たちは教科書で勉強するけれど原爆のことをあまり知らない。どんどん伝えていかないと、この経験が記憶から消えて行ってしまうな、と感じます。そして記憶から消えた時、また戦争が起こってしまう。国連で働いていると、インタビューを受けたり、話を聞いてもらえたりすることがあります。なぜ自分がここで働いているのか、いろんな人に伝えられたらいいな、と思います。

自分の強みは、枠にとどまらずに何か必要なことがあれば、それに対してどういうことをすればよいか考えられることです。ルールはルールだけれども、とらわれずにその枠組みの中で新しい方法を考える。子どもの保護の分野は自分に合っている分野だと思うし、大学院で学んだメンタルヘルスの知識を生かして、今後もがんばっていきたいと思っています。 

 

 
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