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UNICEF日本人職員インタビュー

 

第15回 東京事務所 副代表 根本巳欧

© UNICEF/PPD Tokyo/2017/Chizuka
趣味は水泳。「休日に泳ぐのが息抜き」と話す根本巳欧副代表=2017年9月25日、UNICEF東京事務所

東京大学法学部卒業後、米国シラキュース大学大学院で公共行政管理学、国際関係論の両修士号取得。外資系コンサルティング会社、日本ユニセフ協会を経て、20044月にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO、子どもの保護担当)として、UNICEFシエラレオネ事務所に派遣。子どもの保護担当官としてモザンビーク事務所、パレスチナ・ガザ事務所で勤務後、東アジア太平洋地域事務所(地域緊急支援専門官)を経て、201610月から現職

 

中国で感じた「国家」と「個人」の関係性

 

5歳から8歳まで、父親の仕事の関係で中国で暮らしました。通っていたインターナショナル・スクールには東欧やアフリカの外交官や留学生の子どもたちがいました。印象深いのが、クラスに台湾から来た子がいたこと。「中国と台湾は別々の国だ」とか「喧嘩しているんだ」と聞いていたのに、なんで喧嘩している相手の国の子が同じクラスにいるんだろう、と不思議でした。自分に身近なものとして、「国家」と「個人」の関係性に興味が湧きました。日本に帰国後、大学では法学部に。法学部を選んだのは、人権や、マイノリティーの権利に関心があったからです。本来は国民を守るべき「国家」が、濫用にもなりうる。それは怖ろしいことだけれど、おもしろい、学んでみたい、と思いました。

 

大学院卒業後は外資系コンサルティング会社に勤めました。一見UNICEFの仕事と無関係に見えますが、この時の経験は役に立っています。顧客にわかりやすく説明する、顧客が解決できない問題を手助けし、解決策を見つけるアドバイスをする―。途上国に行って、政府の省庁の人に保健や教育について助言すること実は似ています。顧客でも途上国の政府でも、お互いに問題点や課題点を探していくところは関連しています。

 

その後就職した日本ユニセフ協会では広報、政策提言の部署で働きました。UNICEFのことを幅広く知るいいチャンスになりました。20029月にはUNICEF東京事務所でコンサルタントとして働き始めました。ただ、現場経験のない広報は、ただの伝言ゲームになってしまうなと悩むこともあり、それならば実際に現場に行って見てみようという思いが強くなり、JPOの試験を受けました。

 

忘れられない眼差し

 

2004年にJPOとしてシエラレオネ事務所に赴任しました。元子ども兵士の武装解除はもう終わって、社会復帰の段階でした。社会保障制度や少年法を機能させるためのサポートをしました。最初に関わったのは、武装解除された元子ども兵士の支援。多くの子どもがコミュニティーに戻るものの、うまくいかず、いわゆるストリートチルドレンになったり、最悪なケースだと犯罪に手を染めたりしてしまいます。ギャングの一員になって、結局少年院に入ったりする子どももいました。それをどう食い止めるかというパイロット事業の中で、制度だけを整えるのではなく、コミュニティーレベルの若者向けピア・トレーニングと呼ぶ仕組みをつくりました。職業訓練とまではいかないけれど、仲間同士を支えあうグループをつくって、悩みをお互いに共有できるような場所を提供したりしました。また、学習するチャンスを与えられるよう、非政府組織(NGO)と協力して少年院の環境を整えたりもしました。

 

子どもとは、現地のソーシャルワーカーやカウンセラーを通じてコミュニケーションをとりました。本当にケアが必要な子どもと接するときにはかなり気を付けます。間に入るソーシャルワーカーと綿密に打ち合わせをして、場合によっては顔を出さずに、彼らが部屋のあちら側で話しているのをこちらで見るだけでした。シエラレオネは当時、紛争後で、センセーショナルなメディアの注目を集めたのでいろんな人たちが来ました。メディアやドナーの人たちも含め、内戦中に手足を刀で切られた子どもたちに話を聞きたい、とやって来る。何人も子どもと接するとわかってきますが、子どももスマートですから、中にはかわいそうなところばかりを強調するような話をしたり、どんなことを言ったら大人が喜んでくれるか考えてつくり話をしたりする子どももいる。そういうことを避けるために、専門家以外の人はできる限り手を出さないように気を付けていました。

 

また、いわゆる路上で生活する子どもがどのくらいいるのか、またどういう子どもたちが実際に道で暮らしているのかを把握するために、定点観測として真夜中に道に立って調査したりもしました。パートナー団体であるNGOと一緒にニーズを調査して、その後の事業の提案書に反映させるんですね。その時に会った12歳くらいの女の子が、自分の体を売って生活していると言います。事情があって自分の家族から逃れて首都に出てきた子どもでした。「なぜ体を売ったの?」とソーシャルワーカーが質問すると、「パンがほしかった」。現地では2030円くらいでパンが買えます。そのパンが欲しいがために、体を売っていたのです。その子が目の前で、悪気があるとか、恥ずかしいとかいうでもなく、淡々と話していたのがショックでした。その時の声のトーンや眼差しは今でも覚えています。

 

3つの信念

 

信念を挙げるとすると、1つ目は「常に好奇心を忘れない」。辺ぴなところに行って、疎外された子どものために仕事をする。そんな場所に自分から進んで行くような好奇心は絶対必要だと思います。2つ目は、「怒り」。話を聞いたり、実際に目にしたりした時の「どうしてこんなことがありえるんだ」という怒りを忘れない。そこで何も感じなくなったらその時はUNICEFを離れるべき瞬間だと思っています。3つ目は、「自分の物差しだけで物事を測らない」。遠いアジアの若者がアフリカに行って、村の長老を前に子どもの権利をとうとうと語ったところで誰も聞いてくれません。そこは冷静になってアプローチを考える。彼らの言い分や考え方をすべて受け入れるわけではなく、戦略的に考えます。

 

信頼を得るための工夫といえば、最初から本題に入らないで、外堀を埋めていくこと。何か共通点を見出すことが重要です。たとえば、現地の人に教会やモスク、お寺に誘われたら行ってみるのも良い。そうやってコミュニティーの人たちに「あなたたちに興味があるんですよ」という姿勢を見せる。良いリスナーになることも大事です。よく聞く人はいるだけで貴重です。ただものを言わないというわけではなく、よく聞いた上で発言することが重要だと思います。

 

これからのUNICEF

 

これからは、お金の量や規模で勝負するという時代はどんどん終わっていくと思います。予算が限られているし、予算は少なくてもテクノロジーを使うなどして効率を上げられる時代になってきています。UNICEFにはいろんな拠点やオフィスがあって、知識の蓄積がある。その蓄積を利用したらもっとおもしろくて、効果的な仕事ができると思います。

 

UNICEFの現場での経験を汎用性のある概念にまで昇華できるかどうかが課題になっていくのではないでしょうか。UNICEFがモデルを提供できれば、UNICEFでなくとも世界銀行やJICA、あるいは当事国の政府といった、UNICEF10倍も100倍も大きな規模の予算で活動している組織に影響力を発揮できます。そして最終的には子どもたちのためになる。自己矛盾になるかもしれませんが、なんでも「UNICEFが、UNICEFが」という時代は終わっていくだろうと思います。そこを見据えた戦略を今後立てていけたらいい、と思います。

 

 
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