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UNICEF日本人職員インタビュー

 

第11回 ニューヨーク本部 プログラムオフィサー(子どもの貧困・社会的保護担当) 大久保智夫 【前編】

© Tomoo Okubo
バングラデシュのNGOの子どもたちと

インタビュー実施日:2015511

東京大学経済学部卒業。大学3年生の時にバングラデシュのNGOでインターンシップを経験。卒業後は青年海外協力隊員としてモザンビークで児童保護に携わる。その後ハーバード大学ケネディスクール(公共政策大学院)に進学し、行政学修士(国際開発専攻)を取得。UNICEFネパール事務所で経済分析・社会政策部門アソシエイト・ポリシー・アナリスト(Associate Policy Analyst)として社会政策に従事。20156月からジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてUNICEFニューヨーク本部に赴任予定。

国際協力に興味を持ったのは、小学生の頃から

そもそも国際協力に興味を持った背景には、父の影響があると思います。父は日本政府の公務員で、数年間国際機関に出向してワシントンD.C.に単身赴任していました。学校が休みになると僕も出向先の父に会いに行き、職場見学もさせてもらったのですが、その時の光景をいまでも覚えています。国籍も人種も異なる人たちが立場を超えて、様々な言語で真剣に世界情勢について議論している姿を目にして、漠然とした憧れを抱きました。

また、小中学校ではクラスでいじめの問題があり、自分は問題意識を持っていたのに、困っている友達の助けになることができませんでした。大学生になってもその時の悔しさは心の中に残っており、今度こそは困っている子どものために何かしたいと思った時、そもそも学校に通えないような状況にある途上国の子どもたちのことを考えたんです。貧しい家庭に生まれた子どもたちは、どのような暮らしをしているのか、それに対して日本人としてできることは何かないのだろうか…。そう思い、まずは現地の生活を知るために大学3年生の時にNGOでボランティアをすることにしました。保健や栄養の専門知識を持っていたわけでもないので、僕にできることといえば英語を教えたり子どもたちと遊んだりすることくらい。そうしたボランティアを必要としている団体で、社会的に排除されている子どもたちを教育面から支援しているNGOをインターネットで探して連絡をとり、1か月ほど滞在させてもらいました。

バングラデシュのNGOでの経験がその後の就職活動の原点に

実は、このボランティア活動は就職活動を始める前に行ったんですよ。3年生の後半になると就職活動を始めなくてはならないし、いったん始めたらなかなか迷えない。そう考えたら、就職活動で迷う前に、夏休みを利用して自分が何をしたいのかを見定めたいと思いました。同じ理由から、NGOのインターンの他に、東京にある経営コンサルティング会社でもインターンをしました。

両方経験してみて、何か成果が出た時に本当に心から嬉しくて鳥肌が立ったのが、バングラデシュのNGOでの経験のほうだったんです。そのNGOで僕は英語を教えていたのですが、ほとんどの子どもたちがとても意欲的に参加してくれました。朝、映画館の前で空き缶を拾ってお金にし、その稼いだお金を親に渡してから学校に来るような子もいましたが、とてもエネルギッシュに授業に参加してくれたんですよ。小中学校のときには何もできなかった自分と比べて、バングラデシュでは自分が少しでも助けたい相手の力になれている実感がありました。そのため、卒業後も国際協力の道を進んでいきたいと思うようになり、さらに経験を積むために青年海外協力隊の道を選びました。

現地に寄り添うことを大事にした就職

国際協力の仕事に携わるには、色々な入り口がありますが、僕がこだわっていたのはまず実体験として途上国のことを知ること。だからこそ青年海外協力隊という入り口を選びました。

このこだわりも、バングラデシュのNGOでの経験が大きな影響を与えています。というのも、後からわかったことなのですが、僕がNGOの活動に参加させてもらったときは、活動の実態が外国人に良く映るように現地のコーディネーターが特別に取り計らっていたみたいなんです。たしかに僕がクラスを訪問したときは、子どもたちがきちんと椅子に座ってノートを広げ礼儀正しく挨拶してくれていましたし、ほかに見学した施設でも規律が守られており、このNGOではすごく事業が管理されているなという印象を持ちました。これらの光景が一部「作られた」ものだったと気づいたのは、帰国したあと、より長期滞在したボランティアの指摘を聞いてからです。そういえば、コーディネーターが僕に施設を案内するときは、彼が現地語で誰かと電話をしていましたね。僕にわからないように「今から外国人のボランティアが教室にいくから、ちゃんと子どもたちを集めておけ」と言っていたのでしょう。現地の言葉を知らなかったし、何より僕はお客様扱いされていたので、本当は何が起こっているのか分からなかったんですよね。このように数週間程度の経験では、「用意された」状況であったとしても分からないまま活動をしてしまう。そうだとしたら、大学卒業後は「少なくとも2年間は現地の人に寄り添った活動をして、本当に何が起こっているのかを知りたい」と思ったんです。

また、経済学を学んだ日本人として、いずれはもっと政策レベルの仕事をするのだろうし、そのほうが向いていると思っていました。将来政策レベルの仕事をする時に現場がどうなっているのか想像できるように、最初の2年間は支援が実際に人々に届いている現場で経験をつけたいと考えたというのが、現場を大切にしたもう一つの理由です。先月まで働いていたUNICEFのネパール事務所での仕事も、現場に出るよりも事務所のコンピューターに向かっていたり、会議室でミーティングをするといったことが多い仕事でした。そうした仕事に携わる上でも、最初に現場のことを知った経験がとても役に立っています。

現地の人たちと本気で向き合ったモザンビーク

モザンビークには2年間いたので、現地の人が何を思って、何がどう動いているのかをより深く知ることができたと思います。もちろん赴任当初は、現地の人は外部の人に知られたくないようなことは隠そうとするし、僕に大きなことは任せないようにしていました。それでも、「この外国人は信用できるかもしれない」と思ってもらえるようになると、次第に組織のカギやお金の管理を任せてもらえるようになったり、組織の内情についても教えてもらえたりするようになりました。また様々なモザンビーク人と友人関係を築くうちに、現地の人たちがどんなことに喜んだり、困っていたり、努力しているのかといったことを話してくれるようになりました。

現地の人たちも、どのようなことを見せたら先進国の人たち(=支援事業の資金提供側)が喜ぶのか、または怒るのかなどを分かっているんですよね。バングラデシュのNGOのコーディネーターのように、先進国の人が来たらなるべくいいところを見せて、良くないところは隠そうとします。似たような場面をモザンビークでも何度も見てきました。それを良くないと一言でいうのは簡単ですが、それぞれの行動の裏には彼らなりの理由や状況があります。そうした事情まで考えなければ、本当に開発を現地で続けていくことはできないと思っています。表面的にうまくいっているように見えるプロジェクトが増えていくだけです。なので、僕が援助に関わる時は、現地の人たちの行動を理解し、考え続けていきたいと思っています。

UNICEFのネパール事務所で働いていた時も、国際スタッフ(国際的に雇用されてネパールで働いているスタッフ)と現地スタッフ(現地で雇用されたネパール人スタッフ)を合わせて100人を超える規模だったのですが、その多くが現地のスタッフでした。だから、僕は何かを判断するときには、いつも現地のスタッフに「この支援方法・内容は理論的には正しいように思えるけれど、ネパールの現地の人にとってはどのように受け取られるのか」という点について確認するようにしていました。現地の人の視点を大切にする視点は、これまでの経験から学んだものです。

※※インタビュー後編に続きます。掲載をお楽しみに!※※

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© MIC Nepal
カトマンズでUNICEFが共催したイベントにてネパールの学生と対話

 

 
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