第56回 東京事務所 根本 巳欧
副代表
日本の大学を卒業後、米国大学院で公共行政管理学及び国際関係論の修士号を取得。外資系コンサルティング会社、日本ユニセフ協会を経て2004年JPOとしてUNICEFシエラレオネ事務所に赴任。その後、モザンビーク事務所、パレスチナ・ガザ事務所を経て、東アジア・太平洋地域事務所で地域緊急支援専門官を務める。2016年10月から現職。2022年5月から8月まで、緊急支援調整官としてブルガリア事務所に派遣。

現在、どのような仕事をしていますか。
2016年末頃からUNICEF東京事務所の副代表として、日本政府とのパートナーシップ構築の指揮を執っています。外務省やJICAとの資金調達や技術協力、学術機関やNGO、民間企業とのパートナーシップで、子どもたちの権利を守るための活動を行っています。
つい最近は、ウクライナ危機の緊急支援の一環として、難民が身を寄せるブルガリアにおける支援活動のサポートを行うため、緊急支援調整官としてブルガリア国事務所に短期的に派遣されました。ブルガリアでは、教育や子どもの保護のプログラムの取りまとめや、物資調達、資金管理を含め、緊急支援活動の統括と指揮を担いました。

ブルガリアでの活動は、これまでの緊急人道支援における経験と、大きく異なる点が三つありました。一つ目は、活動地域です。これまでの緊急支援は、アフリカやアジア、中東等の地域で行われることが多かったのに対し、今回はUNICEFとして緊急人道支援の活動実績が多くないヨーロッパにおける活動だったため、政府や自治体、NGOパートナーと新たに関係を築きながら対応していく必要がありました。
二つ目は、人の移動が非常に複雑だった点です。ウクライナ難民は、地続きになっているヨーロッパの国々に車やバス、電車を使って避難しています。女性と子どもが大半を占めるこれらの難民は、ある程度の期間、一つの国に身を寄せて暮らす場合もあれば、しばらくしてEU域内の別の国に移動することもあります。また、戦争が小康状態になって、自宅を見に帰ったり、仕事に戻るためにウクライナに戻る人もいます。そして、彼らは状況が悪化すると、また国外に避難しなければなりません。そういった、人の流れの複雑さがありました。
最後に、情報技術(IT)の影響を感じました。ITを活用して支援を展開できるという利点の一方、ITが広まったが故の課題もありました。一番わかりやすかったのが教育支援です。ウクライナの学校は基本的に、オンライン、またはオンライン・オフラインのハイブリッドで授業を続けていました。そのため、周辺国に逃れてきていた子どもたちも、スマートフォンを使って、それまで通っていた学校の授業を受け続けることができました。これは中東やアフリカなど、ほかの国での緊急支援ではほぼ見ることができなかった新しい状況でした。
そういった中で、子どもたちへの質の高い教育の継続的な提供や、ITインフラの整備に課題が見られました。また、子どもたちがどのように受け入れコミュニティに溶け込んでいけるか、ということも課題となりました。これまでであれば、例えば難民キャンプに小学校を設置し、そこに子どもたちが通うことで、支援との接点が生まれていました。しかし、今回のケースでは、遠隔授業が受けられることで難民の子どもたちが集まる場がなく、支援を届ける拠点をどこに置くか、どのように子どもたちに支援を届けるかといった問題が生じました。そういった状況下で、地元の学校に編入するといった選択肢の検討も含めて、避難先のコミュニティで生活していくためにも、どのようなかたちでの教育支援が子どもにとって最良なのかを考えていくことが難しかったと感じました。

これまでの経歴を教えてください
大学時代に国際法と国際人権法、大学院時代に開発行政学を勉強したため、その頃から国際協力の分野で働きたいなと思っていました。しかし、職務経験なしで国際機関での仕事に就くことは難しく、卒業後はいったん民間の外資系企業に就職しました。必ずしも希望していた仕事ではありませんでしたが、積極性が求められる職場文化やハードな仕事の経験を通じて、世界のどこでもやっていける体力・精神力面での自信がついたと思います。
その後、日本ユニセフ協会の広報・政策提言の部署で働き、2002年からUNICEF東京事務所でコンサルタントとして勤務しました。UNICEFのことを幅広く知る経験になったのですが、現場を知りたいという気持ちがより強くなり、ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)の試験に挑戦することにしました。無事試験に合格し、子どもの保護専門官として、2004年にUNICEFシエラレオネ事務所に赴任しました。武力グループから解放された元子ども兵士の社会復帰支援に携わり、政府やNGO、ソーシャルワーカーやカウンセラーと協力しながら、いわゆる紛争後の現場の仕事を経験しました。その後、モザンビーク事務所やパレスチナ・ガザ事務所で子どもの保護に携わり、東アジア・太平洋地域事務所で地域緊急支援専門官として働きました。ガザでは、事務所全体のマネジメントも経験することができました。当時のガザの状況は、政治的に中立な立場を守りながら、いかに子どもたちのために保健や教育サービスを提供するかが課題となっており、非常に困難でしたが、良い経験となりました。
これまで20年近く国際機関で働いてきたなかで、国際社会やUNICEFの変化を感じる部分はありますか?
大きく分けると、日本の国際社会におけるプレゼンスの変化、国際協力のアクターの変化、活動領域の多様化の、三つがあると思います。一つ目の日本の国際社会におけるプレゼンスに関してお話しすると、日本の政府開発援助(ODA)予算(一般会計当初予算)が日本円ベースで一番多かった時期は1997年頃なのですが、その頃と比べて、今はODA自体が半減してしまっています。こういった状況の中で、今後、日本の特徴をどう見せていくか、量ではなく質を考えていく必要があるのではと感じています。
二つ目は、国際協力のアクターの変化です。日本に限らず、国際協力の世界では、アクターやドナーが多様化しています。例えばアジア開発銀行などの国際金融機関も、UNICEFや国連機関と協力して支援を行うようになってきました。新しいアクターの資金力や対応能力をどのように生かし、相互補完しつつ、共に協力していけるか、ということが新たに求められると思っています。
最後に、私がUNICEFに入った2004年と比べると、今のUNICEFは非常に多岐にわたる活動をしており、当時は考えられなかったプログラムや役割が出てきています。その一つが、社会政策の分野です。日本でいう社会保障制度の整備に関わる分野ですね。UNICEFの中で、いかに制度を改善して子どもたちにとって有益なシステムを築いていくかという議論が進められています。こういった分野は、私が入職した頃にはまだまだ小規模でしたが、活動領域が拡大してきていると感じます。また、支援の届け方という点でも、いかに新しいテクノロジーを活用して、より良く、より効率的に子どもたちに支援を届けるかという視点も重要になってきていると感じます。そして、気候変動に対する注目度は、昔に比べてかなり高くなっています。UNICEFは、この分野をリードする組織とは思われていないかもしれません。しかし、気候変動は子どもや若者の将来に直接影響する問題ですから、若者や子どもの声を聞くところから取り組まなければいけないなと感じています。これからよりUNICEFの活動のメインになっていく分野であり、今後は、UNICEFの支援事業において、気候変動という切り口で取り組んでいく必要性が多く出てくるだろうと思っています。

環境が変化していく中で、これから取り組みたいと考えていらっしゃる課題やビジョンを教えてください。
この20年ほど、「人道と開発の連携」、「人道と開発と平和の連携」というコンセプトがよく取り上げられています。しかし、これをどのように実現するかが、なかなか分かりずらいところでもあります。そのため、わかりやすい、実践的な事例を作っていけたらと考えています。
今の国際情勢を見ると、ウクライナの例もそうですし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などを例に挙げても、普通に暮らしていた国の人たちが、ある日突然緊急人道支援を必要とする状況が出てきています。このようなときには、国や地域で柔軟に対応できるシステムを作る必要がありますが、そこでUNICEFが培ってきた経験やノウハウを活用できる場面があるのではないかと考えています。
例えば、UNICEFは過去に様々な国でポリオの予防接種キャンペーンを行っており、そのための人材の育成やノウハウの共有、制度の構築に力を入れてきました。この知見はCOVID-19の予防接種キャンペーンや手洗いなどの啓発活動の展開に活用されており、今後の緊急支援にも活かしていくことができるのではないかと考えています。開発支援の文脈で行っていた活動が緊急支援で役に立ったり、またはその逆だったり。UNICEFには、そういった具体的な事例がいくつもあります。そのような知見や事例を、国やセクターをまたいで培い、活用していけたらいけたらと思っています。
特にパートナーシップの視点からすると、UNICEFだけですべて活動が完結する時代ではなくなったと考えてえいます。政府やNGOなどと協力しなければ活動に限界があり、どのような新しいパートナーと連携していくかを考えていく必要があります。国際金融機関と協力して支援を行ったり、彼らとの資金及び技術協力でより大きなことを実現するといったような取り組みに全力を尽くしたいと思っています。
UNICEFで働くことを目指す若者にメッセージをお願いします。
若い人には、国連に入ることを目的にするのではなく、何をしたいか、何に一番情熱を傾けられるかをよく考え、その想いを大切にしてもらいたいと思っています。例えば、好奇心を失わないことだとか、開発途上国の子どもたちの現状を知った際に感じる怒りのようなものを忘れないことも、UNICEFで活動していく際に重要です。そして、どうしたらそうした問題を解決して子どもを守ることができるのか、自分は何に一番関心があり、どのように関わっていきたいのかをよく考えてみてください。
もう一つは、回り道をすることを恐れないでほしいということです。自戒を込めてですが、若い頃は特に、自分の情熱が傾けられることがわかり、就きたい職業が見つかったら、誰しもがそこに一直線で行きたいと思ってしまうと思います。ただ、正直なところ、一直線で到達できる人はごく僅かで、みんないろんな回り道をしたり、時々リスクをとったりしながら目標を達成しています。キャリアの上での周り道をあまり心配しないでほしいということは伝えたいですね。私も、順当にUNICEFで働いている訳ではなく、アカデミアを目指してみたり、一旦民間企業で働いてみたりなど、右往左往しながら今の仕事にたどり着きました。経験をいかにその後に活かしていくか次第だと思いますので、目標に向かって頑張ってください。
インタビュー後記(インターン 佐藤 公彦)
終始穏やかな表情でお話しいただいた根本さんが、最後のメッセージで「不条理な場面に直面したときの怒りのような感情を忘れずに」とおっしゃられたのが印象的でした。お話の端々から、一つ一つ仕事を積み上げてこられた、あたたかな信念のようなものを感じ、私も、社会をつくっていくおとなの一人として全力を尽くさなければならないとの想いを強くしました。