第73回 バングラデシュ・コックスバザール現場事務所 奥村真知子
教育専門官
英国の大学院を卒業後、NGOでのインターンシップを経て、東日本大震災やフィリピンの台風被災地での復興支援、ミャンマーやベトナムでの教育支援を経験。2019年にJPO制度を通じてプログラム担当官としてUNICEFベトナム事務所に入職。2022年からコックスバザール現場事務所でプログラム担当官として勤務を開始し、2023年末から現職。
現在どのような仕事をしていますか。
ミャンマーとの国境近くに位置するバングラデシュ・コックスバザールの現場事務所で、教育専門官として働いています。世界最大規模の難民キャンプがあるコックスバザールで、UNICEFは主にミャンマーから逃れてきたロヒンギャ難民と、難民を受け入れているホストコミュニティへの支援を行っています。コックスバザール現場事務所は、約120人のスタッフがいるとても大きな事務所です。教育、水と衛生、子どもの保護、栄養、保健、社会・行動変容などの活動を行っており、教育チームでは 17 人のスタッフが働いています。
私の仕事の大きな柱の一つが、教育分野の支援活動を運営する実施パートナーNGOとの連携や技術的サポートです。2017年に発生したロヒンギャ難民危機への対応を行うため、UNICEFは難民キャンプに学習センターを設置し、難民の子どもたちに教育の機会を提供しています。これまでに、計26万人近い子どもたちがUNICEFの教育施設で学んできました。当初、子どもたちは非公式教育を受けていましたが、約2年前から難民キャンプでミャンマーのカリキュラムが導入され、就学前から中学校までは公式教育を受けられるようになりました。UNICEFは8つのNGOと協力して難民キャンプで学習施設を運営しており、すべての学習施設で同様に高い質の教育を提供できるよう、運営方法に関する管理をしています。私はそのうちの一つのNGOとの調整を担当しており、担当のNGOスタッフと一緒に現場を視察して状況を確認し、課題があれば話し合って解決方法を検討して、子どもたちに効果的に質の高い学びの機会を提供できるようにしています。
第二に、現地モニタリングの統括やノレッジマネジメントです。UNICEFは教育支援を受けた子どもたちの状況を調査するため、第三者機関と協力をしながらモニタリングを行っています。それを管理し、モニタリング結果やそれに基づいた改善すべき点などをとりまとめ、同僚やパートナー団体に共有します。さらにUNICEFの教育チームによるモニタリング結果も収集し、改善すべき点があれば対応策を検討して関係者と共有し、日々の活動に活かしていけるようにしています。
もう一つの柱が、ドナーとの協力関係を促進するパートナーシップの構築です。ドナーに対して、取り組むべき課題やご支援を頂いた資金で行う活動の内容と成果を説明・報告します。私は日本政府とドイツ復興金融公庫の資金協力によって実施される活動の対応を担当しており、教育チームを越えて、他の部署と連携を取りながら対応を行っています。
これまでのキャリアと、UNICEFで働こうと思ったきっかけを教えてください。
歴史や社会に興味があった小学校5年生の頃、日本の戦後 50 周年がメディアで特集されていました。その時、学校の授業も含め、日本やアジアの国々における第二次世界大戦の歴史を学ぶ機会があり、戦火を逃れ地方へ疎開し、貧しい生活をしていた子どもたち、特攻隊として亡くなっていった若者、広島や長崎で原爆の被害を受けた人々、悲惨な暴力の被害にあった少女たちや強制労働させられていた方々についても知りました。私は毎日食事をとれるし学校にも行けるけれど、日本には多くの一般市民を犠牲にした戦争の過去があり、現在でも色々な国で貧困や紛争が起こっていることを知り、日本人として何ができるのだろうと考えるようになりました。そして、毎日の生活にも大変な思いをしている人たち、特に紛争の影響を受けて困難な状況にある人たちをサポートしたいと思うようになり、中学1年生の頃には国際機関で働きたいと考えるようになりました。
大学で国際関係学を学んだ後、紛争後の社会における真実と和解について特に理解を深めたいと思い、英国の大学院で人権法や国際人道法を専攻しました。卒業後には、人権問題を扱うNGOで一年ほどインターンとして働きました。プレスリリースの翻訳などをしていたのですが、実際にそういった記事に書かれているような人権問題で苦しんでいる人たちのために現地で活動をしたことがなかったため、現場での経験が必要ではないかと思うようになりました。また、国際司法は判決までに長い時間を要し、例えばその裁きが下されるまでに加害者も被害者も高齢化してしまうような問題もあります。私は、紛争下で尊厳が損なわれている人たちにより早く変化をもたらせる人道支援の現場に飛び込んでみようと思いました。
しかし、NGOも国際機関も即戦力が求められます。まず実務経験を得るため、高等教育機関や研究機関に助成金を配分する独立行政法人のイギリス事務所で1年半ほど働き、次は開発途上国で働こうと考えていたとき、東日本大震災が起こりました。仙台出身の私は、これから人道支援の分野で働きたいと考えているのに、故郷が大変なときに海外に行ったままでは将来後悔するのではないかと思い、気仙沼や南三陸で学校や家を失った子どもたちが地域について改めて学び、コミュニティのつながりを再生するNGOの活動に従事することにしました。東日本大震災の復興支援の他にも、台風の影響を受けたフィリピンのレイテ島とサマール島の支援も担当しました。そして長期的に海外での現場経験を積むため、ミャンマーのカレン州で帰還民の子どもたちのための教育支援を行うNGOで働いた後、ベトナムの山岳地帯と高原地帯で、少数民族の幼稚園と小学校の教育の質を向上させる支援事業の現地統括も務めました。
2019年、国際機関で働くという子どもの頃からの夢を叶えようと、JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)派遣試験に応募しました。UNICEFを志望した理由は、国連の中でもUNICEFは特に現場主義で、広く拠点を置き、困難な状況下の人々に支援を行っているからです。また、UNICEFは緊急支援から開発支援まで、子どもや女性を対象に幅広い支援を提供しているという点も、私の想いと共通する点がありました。UNICEFベトナム事務所にJPOとして入職して防災と気候変動適応を担当し、2022年からバングラデシュで教育事業を担当しています。
UNICEFの仕事には、これまでのNGOでの経験が生きていると思います。特に緊急人道支援から復興に移る段階では、物資の提供だけでなく、教員の能力育成など、質的な側面を重視した支援方法を考える必要があります。また、ロヒンギャのコミュニティでは、女の子は初潮を迎えたら家から出てはいけないというような保守的な考えがあるため、子どもたちが学習施設に通い続けられるように保護者や宗教指導者に呼びかけたり、女の子も安心して登下校できるようにしたり、自宅の近くで学べるようにしたりしています。このように、少しずつの変化ではあるものの、辛抱強く、試行錯誤を重ねて活動できているのも、NGOで現場経験があったからだと思います。
ワークライフバランスをどのように保っていますか?
現在駐在するコックスバザールはUNICEFの活動地域の中でも特に厳しい条件にある地域に位置することから、職員の身体的・精神的なウェルビーイングを維持するため、定期的に駐在地外で休みを取る制度が設けられています。私は現在の事務所で働いて3年目に入りますが、この制度を活用して医療を受けたり生活に必要な物を手に入れたりして、リフレッシュしながら継続的に働くことができています。
正直にお話しすると、ワークライフバランスは自分の課題でもあると感じています。仕事が忙しく、休日に働くこともありますが、少しでも時間の余裕があれば、ヨガをしたりジムに行ったりして、体を動かすことでリラックスする時間を取っています。また、同僚と海に行って景色を見ながら食事をして息抜きをすることもあります。
UNICEFの仕事のやりがいや原動力は何ですか。
一番の原動力は、支援現場を訪れて、支援を受けている子どもたちや先生、教育施設を運営している NGO の人たちと交流できることです。ミャンマーからバングラデシュに避難してきたロヒンギャの人たちは、無国籍状態にありますが、彼らの基本的な人権は尊重されなければなりません。危機下の困難な状況に置かれる人たちの支えになりたいと思っていたので、自分が本当にやりたいと思っていた仕事ができているということを、日々とてもありがたく感じています。子どもたちには本来無限の可能性があるにも関わらず、ロヒンギャの子どもたちは、彼らが手にできる機会や可能性が制限されてしまっています。現場に赴き、私も彼らの力になれていると感じるときに、この仕事をしていてよかったと思います。
ミャンマーからロヒンギャ難民が流入してから既に何年も経っており、コックスバザールに暮らしている期間の方が長い子どもたちもいます。しかし、祖国に対する思い入れは驚くほど強いです。ミャンマーのカリキュラムを導入したのも、母国のカリキュラムだったら勉強したいと言う子どもや、ミャンマーのカリキュラムなら子どもたちを学校に行かせたいと言う保護者が多くいたことが理由の一つです。このような子どもたちになぜミャンマー語を勉強したいのかと聞いたとき、ある6年生の女の子が、「ミャンマー語を勉強して、『私たちの民族を迫害しないで』とミャンマー語で伝えたい。」と言ったんです。また、「エンジニアになって飛行機を作って、ミャンマーに帰りたい。」と話してくれた子どももいて、祖国への想いを強く持っていることに驚きました。いつ母国に帰れるのか分からない状況の中、教育が子どもたちの希望になっており、いつかミャンマーに帰って自分のなりたい職業に就くために勉強するんだと頑張っている子どもたちを目にすると、私のしていることも彼らの生きがいや未来のために役に立っていると思えるのです。
今後のキャリアをどのように構築していきたいですか。また、UNICEFで働くことを目指す学生や社会人にメッセージをお願いします。
私は今もこれからのキャリアについて模索しているところです。この先自分がどういう道を歩んでいくかは楽しみであり心配でもありますが、引き続きUNICEFで教育の分野の仕事をしていきたいと考えています。これまではより支援を受ける人々に近い現場事務所で働いてきましたが、機会があれば本部など、UNICEFの活動を違う視点から見てみたいとも思います。また、家庭も持ちたいと考えているので、人生に悔いを残さないよう、仕事と家庭のバランスを取りながらキャリアを築いていけるようにしたいです。現在働いているコックスバザールの現場事務所では、子育て中の女性は非常に少ないというのが現状です。UNICEFは現場主義と呼ばれている組織でもありますし、家族を同伴できないような、紛争が起こっている国や生活が困難な地域での仕事も多いです。そのため、家族と一緒に暮らせる国に赴任するなど工夫をしながら、自分自身で人生の計画を立てて行動していかなくてはいけないと思っています。日本で働くより家庭と仕事の両立が難しくなってくるかもしれませんが、私にとってUNICEFは、困難な状況に置かれる人たちのために働く、やりがいが大きい、自己実現ができる場所だと思っています。やはり、信念があるからこそ続けられる仕事だと思いますね。
信念を持つことに加えて、自分の強みや専門性を培っていくことをお勧めします。開発という広い分野で勉強してUNICEFに入る方も多いですが、何か特化した強みがあると技術的なアドバイスもできますし、学生の間などに早い段階で自分の興味がある分野を見つけて、専門性を高めると良いと思います。UNICEFだと、保健や水と衛生、教育、子どもの保護、栄養などの主な支援活動や、評価やモニタリングはだいたいどこの活動国でも行っているので、UNICEFで働きたい場合は、これらの中で自分の専門を見つけてもいいかもしれません。専門分野がないと働けないというわけではありませんが、自分の強みがあったほうが、アピール力が増すのは間違いありません。
同時に、JPOなどのジュニアレベルの職員には自分の専門分野以外のことでもチャンスが巡ってくることが多いため、私は、この仕事も担当してみないかと訊かれた際には、自分が担当する仕事以外のことにも挑戦していました。そうすることで、周りの役にも立てますし、自分の経験にもなるので、本来の自分の仕事に充てる時間や自分の健康も考慮に入れながら、学びのチャンスだと思ってなるべく引き受けるようにしています。日本人は柔軟性をもって動き、組織に貢献しようとする意識が高い人が多いと思いますが、このような姿勢が最終的に自分自身の評価にもつながっていきます。このように自分から積極的に動いてきちんと仕事の成果を出していくことでスキルや経験を高めることもできますし、周りの人との関係構築にもつながっていくと思います。
インタビュー後記(インターン 山崎史香)
小学生のときに戦争について学び、紛争などの影響を受ける人たちを支えるために将来国際機関で働きたいと思った奥村さん。その思い通り、現在はバングラデシュでUNICEFの仕事を通してロヒンギャ難民の子どもたちを支えています。奥村さんは、東日本大震災が起きた後「何か自分にできることを」と、考えていたプランを変えて故郷の宮城県の復興支援の活動に参加したといいます。苦しい立場にいる人のことを知り、彼らを支えるために動き出す行動力や、信念を持ち続けて積み重ねてきた努力が、これまでの国内外の様々な地域での経験や現在のUNICEFの仕事につながっているのだと感じました。彼女の経験やメッセージは、UNICEFや国際機関で将来働きたいと考えている人を力づけてくれると思います。