第60回 東ティモール事務所 藤本瞳
子どもの保護担当官
日本の大学を卒業後、総合商社で海外インフラ事業に携わる。英国で貧困と開発学の修士号取得。UN Women日本事務所での勤務を経て、ルワンダ日本大使館で経済協力調整員として従事。JPO制度のもと、子どもの保護担当官としてUNICEF東ティモール事務所に赴任。

現在、どのような仕事をしていますか。
子どもの保護担当官として東ティモール事務所で働き、もうすぐ4年目を終えるところです。子どもの保護を担当している部署が小さいため、担当官としてできることは何でもしています。
一番大きな仕事は、去年12月まで4年間続いていた出生登録のプロジェクトです。日本ではあまり意識される制度ではありませんが、東ティモールでは子どもの出生登録制度がほとんど機能していませんでした。出生登録は子どもの一生に関わる大切な制度で、登録されていない子どもは政府の記録にないため、法律的には存在していないのと同義になってしまいます。入学や補助金の受給、保健サービスの利用等に必要なだけでなく、児童労働や子どもの人身売買、児童婚など様々な危険から子どもを守るためにも欠かせません。そのため、UNICEFは法務省が出生登録の仕組みを整える支援を行っており、そのプロジェクトマネージャーとして業務に携わりました。
もう一つの主要な担当業務は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行した2020年頃から特に重要視されるようになった分野で、子どものメンタルヘルスに関する支援です。メンタルヘルスはあらゆる子どもに関係しますが、特に暴力や虐待を受けている、または過去にそのような経験をした子どもたちに深く関わりがあるということもあって、UNICEFでは子どもの保護部署が担当しています。UNICEFのアプローチとしては、コミュニティを基盤とする心理社会的支援を中心に、医療的な介入が必要になる前段階において、家族や地域、学校、ソーシャルワーカーの人たちとともに、日常生活の中で子どもたちを支えていく仕組み作りや啓発活動に取り組んでいます。

これまでのキャリアや、UNICEFで働こうと思ったきっかけを教えてください。
昔から子どもが好きで、高校卒業頃までは保育士になろうと考えていました。ただ、それと同じくらい海外の国や出来事にも興味があり、高校3年生で進路を考えた時、保育士は日本に住む子どもが中心になるけれど、もっと色々な国の子どもに関わるような仕事をしたいと思いました。そこで大学では国際関係を専攻し、特に貧困、ジェンダー、移民、人権などの国際社会の課題について学びました。その頃は国連について知ってはいましたが、国連で働きたいと明確に考えていたわけではありませんでした。ただ、大学2年生の時にフィリピンを訪れた際に、路上で物を売っている子どもや物乞いをする子どもたちを実際に目の当たりにしてとても大きなショックを受け、自分の立場との格差にも心が痛みました。その時に、将来は子どもたちの生活を良くするような仕組みを作る仕事をしようと強く思いました。
しかし、新卒の時点では日本のどこでそのような仕事ができるかがわからなかったのと、いつか大学院に行きたいけれどそのために資金も貯めなくてはと思い、商社に就職しました。商社を選んだ理由は、インフラの整っていない国に電気や鉄道を整備して人々の生活を良くしたり、テクノロジーを使って食料問題の解決にチャレンジするなど、ビジネスで世界の課題に取り組む仕事に魅力を感じたからです。希望通り海外インフラ部署に配属されて、上司や先輩に恵まれ、多くのことを学びました。しかし数年経った頃、大学院で学び直したいという気持ちが湧いてきて、翌年に休職を頂いて大学院に行き、開発学を本格的に学びました。
大学院を修了後に復職したのですが、ビジネス以外の取り組みに関心が強まったことや、日本での女性のキャリアアップにも難しさを感じたので、UN Women日本事務所での勤務を経た後、開発現場で働こうと考え、ルワンダの日本大使館の経済協力調整員の仕事に就きました。ルワンダ及びブルンジという興味深い国で、国連機関やNGOとのパートナーシップを担当し、ドナー側の視点で仕事をしたことは、現在でも大変役に立っています。大使館で勤務している間にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)制度の試験に合格して東ティモール事務所に派遣され、契約延長を経て今に至っています。
民間企業や政府機関、他の国連機関での経験を積まれていますが、UNICEFで働く魅力は何ですか。
私にとっては、子どもの福祉の向上に全力を尽くせるというところが、やっぱり一番の魅力です。UNICEFは世界の第一線の研究や専門知識、約190カ国における長年の活動によって蓄積された経験をもとに、子どもたちに支援を行うだけでなく、制度作りのレベルで各国の政府を支援する重要な機関です。常に子どもの利益を第一に考え、その実現をミッションとする仕事はそう多くありません。また、子どもの保護においては特に、UNICEFはこの分野を牽引する立場にあり、UNICEFの存在感はとても大きいと感じています。

UNICEFで働くうえで、印象に残っている出来事を教えてください。
二つご紹介したいのですが、一つは前述の出生登録の仕事です。出生登録を行える役所から離れた地域に住む子どもたちは未登録になりがちなので、UNICEFは政府やNGOと協力し、遠隔地における出張出生登録キャンペーンを実施しました。その際、障がいのある子どもたちもしっかりカバーしようという指針のもと活動を展開しました。なぜなら、東ティモールでは身体的・精神的な障がいのある子どもたちが外に出られず家の中でずっと過ごしていたり、様々な理由で学校に行けなかったり、時には家の中に隠されてしまうということが起こります。こうした状況の改善のためにも障がいのある子どもの登録を行う、かつ出張登録で家庭に負担が少ない方法で実施することが非常に重要であったからです。キャンペーン中、ある県に視察に行った際、何組かの子どもたちと保護者が出生証明書を受け取りに来ていました。保護者たちから、「障がいのある子どもを連れて何時間もかけて役所まで行くことができなかったり、交通手段もお金もなく、今まで出生登録ができていなかった。」「子どもは既に7歳ほどになるものの、このキャンペーンのおかげでやっと出生登録ができ、親として子どもの将来への責任を果たすことができてすごく嬉しい。」という想いを聞いて、本当にこのプロジェクトを成功させることができてよかったと思いました。
もう一つは、東ティモールで2020年と2021年に起こった大洪水に対するUNICEFの緊急支援です。何十年に一度の大規模な洪水が発生して多くの人が亡くなり、UNICEFは事務所総出で緊急支援を行いました。その際の子どもの保護部署の活動の一つが、避難所に「子どもにやさしい空間」を設置することでした。UNICEFがさまざまな国で行っている支援で、子どもが安全に過ごすことができ、大きな災害等で受けた心の傷をケアするための活動を提供する場所です。多くの避難所で「子どもにやさしい空間」を運営したのですが、そこに子どもを通わせていたお母さんから、「洪水が起きてすぐの頃は子どもが怖がって毎晩泣いて眠らず、ひどく心配していたけれど、『子どもにやさしい空間』に通うようになってから、子どもが安心して過ごし、笑顔も見られるようになって安堵した。」という話を聞きました。また、子どもたちを見ていても、例えば災害が起きたばかりの頃には、水がたくさん押し寄せてくる絵や、暗く悲しい絵を描いていた子どもが、「子どもにやさしい空間」でボランティアの人と遊びなどを通して心をケアする時間を重ねていくうちに、明るく楽しい絵を描くようになったりするのを見ることもできました。緊急支援中は休む暇なく働いているので本当に大変ですが、その中でこのような話を聞いたり子どもたちの姿を見ると、チームの人たちと嬉し泣きをするほど、本当に嬉しいと感じます。そしてこのような活動を、将来は現地の組織だけで行えるようにノウハウを伝えていくことも大切な仕事です。

UNICEFで働くことを目指す学生や社会人へのメッセージをお願いします。
私から言えることがあるとしたら、企業や大使館で働いていた経験から、どこの組織にいても一生懸命やっている限り、様々なスキルや能力が身につくということです。国連は多様なスキルと即戦力が必要とされる所なので、今いる場所でできることを磨いていれば、必ず将来につながると思います。様々な選択肢の中からUNICEFで働きたいと思ったとして、それを必ずしも最短ルートで実現した方が良いということでもありません。私も回り道をしていますが、これからもどんなスキルを身につけ、どのような仕事をしたいか考えながら、キャリアの選択をしていくと思います。さまざまな経験を積みつつ、訪れたチャンスを逃さないようにすることが大切かなと思います。
インタビュー後記(インターン 清水 春菜)
子どもの福祉に貢献したいと一筋に思う瞳さんの熱意がひしひしと伝わり、目標を実現された行動力に心打たれました。出生登録のお話では、やっと登録できたという現地の人たちの喜びや安堵、「子どもにやさしい空間」では災害後の子どもたちが明るくなっていく様子を話されていた時の、瞳さんの温かい笑顔が特に印象的です。また、出生登録プロジェクトの重要性を丁寧に説明されていて、誰一人取り残さないようにいかに配慮してこられたかが伝わりました。現在UNICEFで子どもの保護担当官としてご活躍されていますが、外務省や民間企業で経験されてきたということで、必ずしも最短ルートでなくても良いという言葉に説得力があり、励みになりました。