第52回 カンボジア事務所 服部 浩幸
教育チーフ
早稲田大学法学部卒。米国スタンフォード大学にて教育学修士号、コロンビア大学にて教育学博士号取得。民間企業勤務後、JICAジュニア専門員、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、UNICEFコンサルタントを経て、2002年にJPOとしてUNICEFラオス事務所に赴任。その後、教育専門官、チーフとしてカンボジア事務所、ガーナ事務所、ニューヨーク本部、インドネシア事務所に勤務。2021年8月より現職。

現在、どのような仕事をしていますか
UNICEFカンボジア事務所で教育チーフとして、UNICEFの教育プログラムの全体的なマネジメントを担っています。年間予算が1,000万から1,200万米ドルと、国の規模に比してUNICEFとしてもかなり大規模なプログラムを行っており、教育チームには20人のスタッフがいます。具体的な仕事内容としては、大きく4つあります。
一つ目は、カンボジア政府の教育政策や戦略に対する提言やサポートをしています。UNICEFは教育セクターグループのリード役も担っているので、教育ドナー間の調整や協調を推進することも大きな仕事の一つです。
二つ目は、能力開発パートナー基金という、カンボジアの教育行政官や教員のキャパシティ向上と教育システムの強化を目的とした、3,700万米ドル規模の共同ファンドの運営管理です。UNICEFを含む5つのドナーが、教育計画、人事、財務、評価、教員教育など多岐にわたる分野への支援をしています。以前は各ドナーが別々に行っていた支援を共同で行うことで、ドナー間の不必要な作業の重複や、プロジェクト実施以外の部分でかかる間接費用を縮小して援助を効率化することが共同ファンドを通じて支援を行う利点です。
三つめは、特定のターゲットグループ、特に最も不利な状況にある子どもたちの教育状況の改善に向けた個別プロジェクトの運営です。具体的には、少数民族の子どもたちのための複数言語教育、障がいのある子どもたちのためのインクルーシブ教育、10代の若者へ向けたライフスキル教育、幼児のための就学前教育などへの支援を行っています。
最後に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対応を含む教育分野での緊急人道支援です。COVID-19流行初期から昨年までは、安全で衛生的な学校環境の整備や、学校閉鎖中の遠隔教育の拡充支援に力を入れていました。今年1月からは対面授業が全面再開したので、学校閉鎖の間に生じた学習損失を取り戻すための補習教育への支援をしています。一方、現在はCOVID-19への対応が主な活動となっていますが、カンボジアは台風や洪水などの自然災害も多く、そうした際の緊急支援も重要な業務の一つです。

これまでのキャリアと、UNICEF で働こうと思ったきっかけを教えてください
UNICEFでの勤務を始めてちょうど20年になります。博士課程在学中にUNICEFニューヨーク本部の教育セクションでコンサルタントとして働き始め、2002年にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー (JPO)としてラオス事務所に赴任しました。それからカンボジア事務所、ガーナ事務所、ニューヨーク本部、インドネシア事務所を経て、2021年の8月に再びカンボジア事務所に移りました。一貫して教育のスペシャリストとして働いています。
どちらかというと、運とか縁や人とのつながりでUNICEFに入り働き続けているので、働き始めた具体的なきっかけみたいなものはあまり無いのですが、振り返ってみると色んな伏線はあったのかなと思います。
子どものころは、何をもって普通というのか分かりませんが、勉強もそこそこ、スポーツもそこそこ、友人関係もそこそこといった普通の子どもでした。正直学校がすごく楽しかったという記憶は無いのですが、確か小学校4年から高校2年まで無欠席だったので、嫌いではなかったのかもしれません。ただ、今思うと、学校の環境や指導法に子どもながらに矛盾や疑問を常に感じていた気がします。私は小・中・高と公立の学校に通っていたのですが、当時は学校が荒れていました。先生による体罰、生徒同士の暴力事件、生徒が先生を殴る、というような校内暴力が普通の光景でした。私自身が直接巻き込まれることは少なかったのですが、そんな日常の中、社会科の教科書の裏に載っていた、「児童の権利宣言」(「子どもの権利条約」が採択される前の1959年に、「子どもは子どもとしての権利をそれぞれもつ」と述べた宣言)の、「子どもはいかなる虐待からも保護されなければならない」という記述を見ながら、何か現実に対する疑問というか怒りのような感情を抱いていたのを覚えています。
あとは小中高とあまり熱中できるものは無かったのですが、本を読んだり、音楽を聴くのが好きでした。中学1年生のときにRCサクセションというバンドに衝撃を受けて、それ以来忌野清志郎さんの歌や生き方、考え方に今現在も含めてずっと影響を受け続けています。清志郎さんの「愛と平和」というメッセージが、今思うとですが、こういう仕事に就いた根底に流れていると思います。
もっと直接的に、国際協力や開発の世界に興味を持ったのは、大学時代に今でいうバックパッカーのような感じでアメリカ、アジア、アフリカを旅行した時に初めて見た両極端の世界、つまり、ものすごい豊かさと、ものすごい貧困の差に衝撃を受けたことが始まりだったと思います。当時、日本はバブルによる好景気で世間は浮かれていましたが、世界は日本とは全然違うのだなと感じました。
大学卒業後は民間企業に勤務しましたが二年で退職し、米国の大学院で教育開発についてゼロから学びました。その後は本当に色んな縁に恵まれ、JICAのジュニア専門家、国連開発計画(UNDP)や世界銀行のコンサルタントとして働く機会を得ました。教育の仕事は本当に奥が深く、生涯の仕事にしたいと思ったこと、そして現場が一番好きだということが分かり、UNICEFに入ったという感じです。
教育を生涯の仕事にしたいと思ったのは、教育には答えがないからです。つまり、これをしたらこういう成果がでるという万能薬がなく、個々人に合わせた教育が必要なのです。また、教育は子どもがどのようなおとなになるかに大きく影響を与えます。もちろん、身体が健康であることがまず一番です。しかしその先、どのように生きていくかを考えると、どのような教育を受けたか、学びをしてきたかが、子どもの人生に最大の影響を与えると思います。難しくなかなか成果は出ませんが、そこに教育に携わる面白さがあると感じます。
様々な国事務所でのご勤務を経験されています。特に印象に残っているエピソード、子どもや現地パートナーとの出会いなどがあれば教えてください
UNICEFの仕事がユニークかつ面白いのが、教育という軸で、学校現場やコミュニティへの直接支援といった、いわゆる草の根レベルの仕事から、国の教育政策やシステム強化といった上流レベルの仕事、そして、持続可能な開発目標(SDGs)の策定やモニタリングなど、グローバル・レベルでの仕事までできることです。幸いなことに、私はこのいずれの仕事にも携わってきました。
現場での仕事の例として、現在はCOVID-19のパンデミックで移動に制限がありますが、通常はUNICEFが支援をしている学校を直接訪れてモニタリングを行います。UNICEFは概して最も開発の遅れた地域を重点的に支援するので、かなりの遠隔地、時には秘境と呼ぶにふさわしいようなところも訪問します。例えば、インドネシアにいたときは、パプア州という教育を含む社会指標が他の州に比べて格段に低い地域で、小学校低学年の読み書き能力の強化のプロジェクトを実施していました。当時は、モニタリングのためにこのパプア州を十数回訪問しましたが、時には本当にジャングルの奥地の学校へも行きました。首都のジャカルタからパプアの州都まで飛行機で飛び、そこで小型プロペラ機に乗り換え、ジャングルの切れ目のちょっとした平地の仮設滑走路に着陸し、そこからトラックで行けるところまで行って、急な丘の上の学校まで歩いて登り、やっとたどり着ける、といった感じです。そのように視察した学校で、子どもたちがUNICEFの支援した読書教材を使って真剣に音読の練習をしているのを確認できるととても嬉しいです。余談ですが、この学校では、我々がやっとの思いで到着すると、校長先生がコーヒーを淹れてくれました。その土地で取れた豆を臼で煎って粉状に曳いたものにお湯を注ぎ、粉が底に沈むのを待ってその上澄みを飲むという、インドネシアの昔ながらの淹れ方です。私はコーヒーがかなり好きでいろいろと試してきたのですが、その時飲んだコーヒーが一番美味しかったです。
一方で、グローバル・レベルで携わった仕事としては、ニューヨーク本部にいたのが2013年から2016年だったこともあり、SDGsの策定に関わりました。SDGsの目標やターゲットの設定は政治的なプロセスで、基本的に国連総会の特別公開部会が主導しており、UNICEFのような専門機関は、例えば教育に関する目標4などの個別領域に関して、技術的な観点から助言を行う立場でした。一方で、すべての目標やターゲットが定まった後、その達成に向けた進捗状況を客観的に測定したり、モニタリングするために必要な指標の作成はUNICEFのような専門機関が主導しました。目標4は、UNICEF、国連教育科学文化機関(UNESCO)、経済協力開発機構(OECD)、世界銀行などの専門家で構成された技術諮問部会がその作業を行うことになりました。当時私は本部で唯一の教育統計の専門家だったので、UNICEFを代表して指標を作成しました。SDGsの目標やターゲットの多くは、その政治的な策定過程も反映しているため、理念的、概念的、かつ一つの目標の中に異なる要素を詰め込んだものも多く、それらを測量可能な指標に落とし込むのは大変な仕事でした。しかし、最終的には目標4の11個の公式指標を定義することができました。各機関を代表する教育統計の第一人者たちと密に働けたことは、とてもいい刺激にもなり、学ぶことも多かったです。その後、インドネシア、カンボジアで国事務所に戻り、今度はそれらの指標を使って、国レベルでのSDGsの進捗のモニタリングにもかかわっています。

仕事の原動力ややりがいは何ですか
先に述べたインドネシア・パプア州での読み書き能力向上プロジェクトのように、UNICEFのサポートがはっきりした形で成果を上げていることを自分の目で確認できたときが、やはり一番嬉しいです。
これ以外で、私が働いている上で一番好きなのは、UNICEFのチームワークです。私はあまり群れたがる方ではなく、日本の友人からは一匹狼と言われることも多いのですが、UNICEFで仕事を始めてからは、根っからの「チーム信者」で、チームの力を強く信じています。よく言われる、“The whole is greater than the sum of the parts.(全体は個々の総和に勝る)”ということをこれまで色んなチームで働き、毎回実感しています。
UNICEFは、事務所のある国の数、あるいは職員の国籍の構成を考慮すると、おそらく世界一グローバルな組織といっても過言ではありません。国籍も人種も宗教も性別も文化も育ってきた環境も全く違うスタッフが、同じ職場で共通の目的に向かって働いています。各チームメンバーが自由闊達なアイデアを出し合い、各々の強み、弱みを補完し合える関係性が作られ、全体として一つの目標に向かうことができると、チームによる相乗効果が生まれ、個々人でバラバラに働くよりも確実に高いパフォーマンスを発揮できます。
あと一つ、仕事の面白い点は、常に新しい課題やアプローチに挑戦できることです。例えば最近では、気候変動の問題に教育の面からどう対応していくか、COVID-19のパンデミック下で重要性が明らかになったデジタル教育の普及にどう取り組むかなどが挙げられます。また、従来型の学力の向上だけでなく、いわゆる21世紀型スキルと呼ばれる、批判的思考力、創造性、コミュニケーション力、コラボレーション力などの非認知能力を子どもたちが身に付けるにはどのような教育が必要か。そして、こうした新たな課題に取り組むために、民間セクターといかに連携してくかなど、新しいことに挑戦していく必要があります。もちろん、学力向上や、子どもたちが学校に通えるようにすることなどの課題は重要であり続けます。一方で、既成概念にとらわれず柔軟に新しいことを受け入れ、自分の知識やスキルを常にアップデートしながら、新たな課題に取り組むことがいい刺激になっていることも確かです。
ライフワークバランスをどのように保っていますか
UNICEFは休暇制度やフレキシブルな勤務制度が充実しています。もちろん、制度があるからと言って絶対にライフワークバランスが保障されているということではなく、重要なのはそれらを上手く活用することだと思います。私自身は、仕事の成果をきちんと出すことに責任を持った上で、休むときは思いっきり休むという感じにしています。ただ、UNICEFでキャリアを積む上で一番大変なのが、平均4年ごとに任地が変わるということです。色んな国に行けるというのは魅力でもありますが、実際のところ異動の際のストレス、特に家族への負担は大きいです。どこへ行ってもたくましく新たな人間関係を作り、楽しみを見つけ、柔軟に生活に順応してくれている妻や息子にはいつも感謝しています。
UNICEF で働くことを目指す若者へメッセージをお願いします
UNICEFに入って最初の上司が、「私たちは世界最高の仕事をしている。」とよく言っていました。仕事をしていて毎日そういう風には感じませんが、一年に一、二度、そう思うときがあります。UNICEFの仕事は、目的がはっきりしているので、少なくとも、「何のために仕事しているんだろう。」と悩むことはあまりありません。一方で、目的がはっきりしているからこそ、官僚主義的な事務手続きなどに振り回されているとき、歯がゆく思うことはあります。しかしいずれにしても、国際協力、特に私のような教育開発に興味がある人にとって、UNICEFはやりがいのある職場だと思います。
ただ、私の場合もそうですが、最初からUNICEFとか国連とか特定の組織を目指す必要はないと思います。教育という一つの分野だけ取っても、国際協力の仕事の内容は多岐にわたりますし、各機関でやっていることも全然違います。なので、若いうちは、ボランティアやインターン、コンサルタントのような形で色んな機関や職場で働いてみるといいと思います。その中で自分が本当に何がやりたいのか、何に向いているのか、得意なのかなどを段々と見極めていくうちに、自然と自分に合った仕事、職場が見えてくると思います。情熱と努力が続いていれば、色んな運や縁も手助けしてくれるはずです。
インターン後記(崎山実樹)
20年間、一貫して教育のスペシャリストとして働き続けてきた服部さん。「自分の子どもの教育で考えてもそうなんですが、」と前置きしながら、「教育には答えがない、だから面白い。」と笑顔で語る姿が印象的でした。結果が見えにくい分野で情熱を持ち続け、かつ多様な背景を持つチームメンバーを率いることは、並大抵のことではないと思います。ご自分のお仕事が子どもたちの人生に深く影響を与えるからこそ、現場で起きるあらゆる困難も、チームの力を信じて乗り越えてこられたのだろうと想像します。最後の「情熱と努力が続いてれば、色んな運や縁も手助けてしてくれるはず。」というお言葉に非常に励まされました。